・・・なっているうちに、日本の無条件降伏という事になり、私は夫のいる東京が恋いしくて、二人の子供を連れ、ほとんど乞食の姿でまたもや東京に舞い戻り、他に移り住む家も無いので、半壊の家を大工にたのんで大ざっぱな修理をしてもらって、どうやらまた以前のよ・・・ 太宰治 「おさん」
・・・こんなのが大きくなって、掏摸の名人なんかになるものだ。けれども、案外にも、どこか一つ大きく抜けているところがあると見えて、掏摸の親方になれなかったばかりか、いやもう、みっともない失敗の連続で、以後十数年間、泣いたりわめいたり、きざに唸るやら・・・ 太宰治 「小さいアルバム」
・・・一刻も早く修理したくて、まだ空襲警報が解除されていないのに、油紙を切って、こわれた跡に張りつけましたが、汚い裏側のほうを外に向け、きれいなほうを内に向けて張ったので、妻は顔をしかめて、あたしがあとで致しますのに、あべこべですよ、それは、と言・・・ 太宰治 「春」
・・・に現われる群集の一人一人の素性について何も知らなかったのであるが、この二度目の同じ場面では一人一人の来歴、またその一人一人がアルベールならびに連れ立った可憐のポーラに対する交渉がちゃんとわかっている。掏摸に金をすられた肥った年増の顔、その密・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・盛り場である人がなんの気なしにとった写真に掏摸が椋鳥のふところへ手を入れたのがちゃんと写っていたという話を聞いたこともある。 記憶のいい写真の目にもしくじりはある。 飛行船が北氷洋上で氷原をとった写真を現像したら思いもかけぬ飛行機の・・・ 寺田寅彦 「カメラをさげて」
・・・その時かかったドイツの医者は、細工はなんとなく不器用であったが、しかしその修理法がいかにも合理的で、一時の間に合わせでなくて長持ちのするような徹底的のものであるのに感心した。その歯医者が、治療した歯の隣の歯を軽くつついてそれがゆらゆら動くの・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・それでやむを得ず私は道具箱の中から銅線の切れはしを捜し出して、ともかくも応急の修理を自分でやって、その夜はどうにか間に合わせた。その時に調べてみるとボタンを押した時に電路を閉じるべき銅板のばねの片方の翼が根元から折れてしまっていたのである。・・・ 寺田寅彦 「断水の日」
・・・それから二三日たってから、宅の他の子供がデパートでハンドバッグを掏摸にすられた。そうして電車停留場の安全地帯に立っていたら、通りかかったトラックの荷物を引っ掛けられて上着にかぎ裂きをこしらえた。その同じ日に宅の女中が電車の中へだいじの包みを・・・ 寺田寅彦 「藤の実」
・・・ 彼の宅の呼び鈴の配線に故障があって、その修理を近所の電気屋に頼んであったのがなかなか来てくれなかった。あとで聞いてみると、早慶戦のためにラジオの修繕が忙しくて、それで来られなかったと言うのである。 野球戦の入場券一枚を手に入れるた・・・ 寺田寅彦 「野球時代」
・・・ よりも、第三金時丸に最も大切なことは、そのサイドを修理することではなかったか。錨を巻き上げる時、彼女の梅毒にかかった鼻は、いつでも穴があくではないか。その穴には、亜鉛化軟膏に似たセメントが填められる。 だが、未だ重要なることはなかった・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
出典:青空文庫