・・・もう夕方だから早く廻らないと、どこの家でも夕飯の仕度がすんでしまって間にあわなくなる。しきりに気はあせるが、天秤棒は肩にめりこみそうに痛いし、気持も重くなって足もはかどらない。しまいには涙がでてきて、桶ごとこんにゃくも何もおっぽりだしたくな・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・浅草という土地がら、大道具という職業がらには似もつかず、物事が手荒でなく、口のききようも至極穏かであったので、舞台の仕事がすんで、黒い仕事着を渋い好みの着物に着かえ、夏は鼠色の半コート、冬は角袖茶色のコートを襲ねたりすると、実直な商人としか・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・「何すんだ」 太十は思わず呶鳴った。「殺すのよ」 犬殺しは太いそうして低い声で応じた。「殺せんなら殺して見ろ」 太十はいきなり犬を引っつるように左手で抱えた。「見やがれ殺しはぐりあるもんか」 犬殺しは毒ついて・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・――話は要領を得ずにすんでしまったが、私にはやッぱり構造、譬えば波瀾、衝突から起る因果とか、この因果と、あの因果の関係とか云うものが第一番に眼につくんです。ところがそれがあんまり善くできていないじゃありませんか。あるものは私の理性を愚弄する・・・ 夏目漱石 「虚子君へ」
・・・コンクリがすんで終業時間になった。 彼は、ミキサーに引いてあるゴムホースの水で、一と先ず顔や手を洗った。そして弁当箱を首に巻きつけて、一杯飲んで食うことを専門に考えながら、彼の長屋へ帰って行った。発電所は八分通り出来上っていた。夕暗に聳・・・ 葉山嘉樹 「セメント樽の中の手紙」
・・・「東雲さんの吉さんは今日も流連すんだッてね」と、今一人の名山という花魁が言いかけて、顔を洗ッている自分の客の書生風の男の肩を押え、「お前さんも去らないで、夕方までおいでなさいよ」「僕か。僕はいかん。なア君」「そうじゃ。いずれまた・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・これで、書初めもすんで、サア廻礼だ。」「おい杖を持て来い。」「どの杖をナ。」「どの杖ててまさかもう撞木杖なんかはつきやしないヨ。どれでもいいステッキサ。暫く振りで薩摩下駄を穿くんだが、非常に穿き心地がいい。足の裏の冷や冷やする心持は、な・・・ 正岡子規 「初夢」
・・・林はガアガアと鳴り、カン蛙のうちの前のつめくさは、うす濁った水をかぶってぼんやりとかすんで見えました。それでもカン蛙は勇んで家を出ました。せきの水は濁って大へんに増し、幾本もの蓼やつゆくさは、すっかり水の中になりました。飛び込むのは一寸こわ・・・ 宮沢賢治 「蛙のゴム靴」
・・・第二の精霊 私共にも、出来る力をもった時はあったが幸か不幸か自分の体をなげ出すほど美くしい精女は居らなんだ故死なずにもすんだのじゃ。 ま十年若かったら、つくづく思われるのじゃワ。第三の精霊はかおを手でおおうたままシリンクスの・・・ 宮本百合子 「葦笛(一幕)」
・・・ 食事がすんでしばらくすると、ぼつぼつ若い連中が集まり始めた。木曜日の晩の集まりは、そのころにはもう六、七年も続いて来ているので、初めとはよほど顔ぶれが違って来ていたであろうが、その晩集まったのは、古顔では森田草平、鈴木三重吉、小宮豊隆・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫