・・・少くも利権割取を政治家の余得として一進一退を総て金に換えて怪まない今の政界にあっては沼南は実に鶏群の一鶴であった。 が、清廉を看板にし売物にする結果が貧乏をミエにする奇妙な虚飾があった。無論、沼南は金持ではなかった。が、その社会的位置に・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・政治家肌がこういう傾向になったのもまた間接に伊井公侯の文明尊重に負うているので、当時の政界の領袖は朝野を通じて皆文芸的理解に富んでいた。庄屋様上りの百姓政治家は帝都の中央では対手にされなかった。 由来革命の鍵はイツデモ門外漢の手に握られ・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・ その年の暮、二ツ井戸の玉突屋日本橋クラブの二階広間で広沢八助連中素人浄瑠璃大会が開かれ、聴衆約百名、盛会であった。軽部村彦こと軽部村寿はそのときはじめて高座に上った。はじめてのことゆえむろん露払いで、ぱらりぱらりと集りかけた聴衆の・・・ 織田作之助 「雨」
・・・非常な盛会だ――誰しもこう思わずにはいられなかっただろう。 十一時近くなって、散会になった。後に残ったのは笹川と六人の彼の友だちと、それに会社員の若い法学士とであった。そして会計もすんで、いよいよ皆なも出かけようという時になって、意外な・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・会は非常な盛会で、中には伯爵家の令嬢なども見えていましたが夜の十時頃漸く散会になり僕はホテルから芝山内の少女の宅まで、月が佳いから歩るいて送ることにして母と三人ぶらぶらと行って来ると、途々母は口を極めて洋行夫婦を褒め頻と羨ましそうなことを言・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・父は代議士にいちど、それから貴族院にも出たが、べつだん中央の政界に於いて活躍したという話も聞かない。この父は、ひどく大きい家を建てた。風情も何も無い、ただ大きいのである。間数が三十ちかくもあるであろう。それも十畳二十畳という部屋が多い。おそ・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・しかし当選した正解者の答案は極めて簡単明瞭で「水はこぼれますよ」というのであった。 颱風のような複雑な現象の研究にはなおさら事実の観測が基礎にならなければならない。それには颱風の事実を捕える観測網を出来るだけ広く密に張り渡すのが第一着の・・・ 寺田寅彦 「颱風雑俎」
四十年来の暑さだ、と、中央気象台では発表した。四十年に一度の暑さの中を政界の巨星連が右往左往した。 スペインや、イタリーでは、ナポレオンの方を向いて、政界が退進した。 赤石山の、てっぺんへ、寝台へ寝たまま持ち上げら・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・君らがいわゆる盛会に例の如く妓を聘し酒を飲み得々談笑するときは勿論、時としては親戚・朋友・男女団欒たる内宴の席においても、一座少しく興に入るとき、盃盤を狼藉ならしむる者は、君らにあらずして誰ぞや。その狼藉はなお可なり、酒席の一興、かえって面・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・かの人々が知識人として今日の社会に対している良心のあらわれであるのだけれど、その半面では、モーロアの本質がつまりダラディエやレイノーとそう大して違ったものでもないこと、それだからこそ現象の説明は皮相な政界内幕の域を脱し得ていないこと、従って・・・ 宮本百合子 「今日の作家と読者」
出典:青空文庫