・・・肉体的快楽をたましいから独立に心に表象するという実に悲しむべき習癖をつけられるのだ。性交を伴わぬ異性との恋愛は、如何にたましいの高揚があっても、酒なくして佳肴に向かう飲酒家の如くに、もはや喜びを感じられなくなる。いかに高貴な、楚々たる女性に・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・ われわれはちょうどわれわれの幸福と成功とに恰好な女性と、恰好な時機に、そうである故に、恋に陥るとはかぎらない。何の内助の才能もなく、一生の負荷となるような女性と、きわめて不相応な時機に、ただ運命的な恋愛のみの故で、はなれ難く結びつくこ・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・ それは極めて精巧に、細心に印刷せられたものであった。印刷局で働いて、拵え方を知っている者の仕業のようだ。一見すると使い古され、しわくちゃになっていた。しかし、よく見ると、手垢が紙にしみこんでいなかった。皺も一時に、故意につけられたもの・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・ 少くともこういうことは、皆が一勢にやらなければ成功すべきものではない。少数ではやった者がひどいめにあうばかりだ。それだのに村の半数は出していないらしい。 健二は急いで小屋の外へ出て見た。丘から谷間にかけて、四五匹の豚が、急に広々と・・・ 黒島伝治 「豚群」
・・・勿論あれが同じあのようなものにしても生硬粗雑で言葉づかいも何もこなれて居ないものでありましたならば、後の同路を辿るものに取って障礙となるとも利益とはなっていなかったでしょうが、立意は新鮮で、用意は周到であった其一段が甚だ宜しくって腐気と厭味・・・ 幸田露伴 「言語体の文章と浮雲」
・・・は、一番先へクロス、その次がハドウ、その次がハドス、それからフランシス・ダグラス卿、それから年を取ったところのペーテル、一番終いがウィンパー、それで段降りて来たのでありますが、それだけの前古未曾有の大成功を収め得た八人は、上りにくらべてはな・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・ ――俺もしばらくして、せきとくさめに自分のスタイルを持つことに成功した。 オン、ア、ラ、ハ、シャ、ナウ 高い窓から入ってくる日脚の落ち場所が、見ていると順々に変って行って――秋がやってきた。運動から帰ってきて、・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・そのために、思わぬ難儀が振りかかって来た事もありますが、しかし、駈引きして成功しても永続きはしないような気がするのです。 その時も、私は、下手な小細工をしたって仕様が無いと思って、「まっすぐに、ここさ来た」と本当の事を言ったのですが、嫁・・・ 太宰治 「嘘」
・・・ あなたはあの頃、画家になるのだと言って、たいへん精巧のカメラを持っていて、ふるさとの夏の野道を歩きながら、パチリパチリだまって写真とる対象物、それが不思議に、私の見つけた景色と同一、そっくりそのまま、北国の夏は、南国の初秋、まっかに震・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・自分の子供の時分に屋内の井戸の暗い水底に薬鑵が沈んだのを二枚の鏡を使って日光を井底に送り、易々と引上げに成功したこともあった。 日本橋橋畔のへリオトロープは単なる子供のいたずらであったであろうが、同じようなのでただの悪戯ではない場合があ・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
出典:青空文庫