・・・きょうは朝から近頃に無く気持がせいせいしていて慾も得も無く、誰をも怨まず、誰をも愛さず、それこそ心頭滅却に似た恬淡の心境だったのですが、あなたに話かけているうちに、また心の端が麻のように乱れはじめて、あなたの澄んだ眼と、強い音声が、ともする・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・紅梅は花が散ってしまっていて青青した葉をひろげ、百日紅は枝々の股からささくれのようなひょろひょろした若葉を生やしていた。雨戸もしまっていた。僕は軽く二つ三つ戸をたたき、木下さん、木下さん、とひくく呼んだ。しんとしているのである。僕は雨戸のす・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・実に、せいせいした。家へ帰って、得意顔でその事を家の者に知らせてやったら、家の者は私を、とんちんかんだと言った。 拙宅の庭の生垣の陰に井戸が在る。裏の二軒の家が共同で使っている。裏の二軒は、いずれも産業戦士のお家である。両家の奥さんは、・・・ 太宰治 「作家の手帖」
・・・つまり私は、津軽には文化なんてものは無く、したがって、津軽人の私も少しも文化人では無かったという事を発見してせいせいしたのである。それ以後の私の作品は、少し変ったような気がする。私は「津軽」という旅行記みたいな長編小説を発表した。その次には・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・「せいせいしたわ。お城の中は暗いので、私は夜かと思っていました。」「夜なものか。君は、きのうの昼から、けさまで、ぐっすり眠っていたんだ。寝息も無いくらいに深く眠っていたので、私は、死んだのじゃないかと心配していた。」「森の娘が、・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・特に美濃近江の国境の連山は、地形の影響で、上昇気流を助長し、雪雲の生成を助長するのであろう。 また伊吹山観測所で霧を観測した日数を調べてみると、四か年間の平均で、冬季三か月間につき七六、八日となっている。つまり冬じゅうの約八割五分は伊吹・・・ 寺田寅彦 「伊吹山の句について」
・・・やはり、音の生成機巧に共通なところがあるからであろう。すなわち、浜べで無数の砂利が相打ち相きしるように無数の蝗の羽根が轢音を発している、その集団的効果があのように聞こえるのではないかと思われる。そういえば丸鋸で材木をひく時にもこれに似た不規・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・情緒的活動が開始されると、今度は脳神経中枢のどこか前とはちがった部分のちがった活動がスタートを切って、今までとはまた少しちがった場所にちがった化学作用が起こり始め、そうしてまた前とはちがった化学物質が生成されたり、ちがったイオン濃度の分配が・・・ 寺田寅彦 「映画と生理」
・・・もっともこの断層の生成、これに伴なう沈下や滑動の起こった時代は、おそらく非常に古い地質時代に属するもので、その時の歪が現在まで残っていようとは信ぜられない。しかしそのような著しい地殻の古きずが現在の歪に対して時々過敏になりうるであろうと想像・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
・・・の問題として理論的にもかなりたびたび取り扱われたもので、工学上にもいろいろの応用のあるのはもちろんであるが、また一方では、平行山脈の生成の説明に適用されたり、また毛色の変わった例としては、生物の細胞組織が最初の空洞球状の原形からだんだんと皺・・・ 寺田寅彦 「自然界の縞模様」
出典:青空文庫