・・・御遺骨を京都へ護送いたし候。御供には長岡河内景則、加来作左衛門家次、山田三右衛門、佐方源左衛門秀信、吉田兼庵相立ち候。二十四日には一同京都に着し、紫野大徳寺中高桐院に御納骨いたし候。御生前において同寺清巌和尚に御約束有之候趣に候。 さて・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・そのころ私は鵠沼に住んでいた関係で、あまりたびたび木曜会には顔を出さなかったし、またたまに訪れて行った時にはその連中が来ていないというわけで、漱石生前には一度も同座しなかった。従ってそういうことに気づいたのは漱石の死後である。 木曜・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
・・・雑多な記憶材料に一定の方向を与え、それを整然とした形に結晶させた力は、あくまでも探求心である。 言語の問題に関しては先生はいつも活発な関心を持っていられた。わたくしのわずかな接触の間にも、この問題についておりにふれて教えられたことは、か・・・ 和辻哲郎 「露伴先生の思い出」
出典:青空文庫