・・・車の上には慎太郎が、高等学校の夏服に白い筋の制帽をかぶったまま、膝に挟んだトランクを骨太な両手に抑えていた。「やあ。」 兄は眉一つ動かさずに、洋一の顔を見下した。「お母さんはどうした?」 洋一は兄を見上ながら、体中の血が生き・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・本間さんはとうとう思い切って、雨が降るのに荷拵えが出来ると、俵屋の玄関から俥を駆って、制服制帽の甲斐甲斐しい姿を、七条の停車場へ運ばせる事にした。 ところが乗って見ると、二等列車の中は身動きも出来ないほどこんでいる。ボオイが心配してくれ・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・――茶の唐縮緬の帯、それよりも煙草に相応わないのは、東京のなにがし工業学校の金色の徽章のついた制帽で、巻莨ならまだしも、喫んでいるのが刻煙草である。 場所は、言った通り、城下から海岸の港へ通る二里余りの並木の途中、ちょうど真中処に、昔か・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ 制帽の庇の下にものすごく潜める眼光は、機敏と、鋭利と厳酷とを混じたる、異様の光に輝けり。 渠は左右のものを見、上下のものを視むるとき、さらにその顔を動かし、首を掉ることをせざれども、瞳は自在に回転して、随意にその用を弁ずるなり。・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・沼南が大隈参議と進退を侶にし、今の次官よりも重く見られた文部権大書記官の栄位を弊履の如く一蹴して野に下り、矢野文雄や小野梓と並んで改進党の三領袖として声望隆々とした頃の先夫人は才貌双絶の艶名を鳴らしたもんだった。 その頃私は番町の島田邸・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・相当に売れもし評判にもなったが半ばは合著の名を仮した春廼舎の声望に由るので、二葉亭としては余りありがたくもなかった。数ある批評のどれもが感服しないのはなかったが、ドレもこれも窮所を外れて自分の思う坪に陥ったのが一つもなかったのは褒められても・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
・・・ 情実と利害関係の複雑な文化機関と、その文壇的の声望は、以上の如き芸術に、決して正しい評価を下すものでありません。常にその時代の文壇は、享楽階級の好悪によって左右さるべき性質のものであるからです。 芸術が、他のすべての自然科学の場合・・・ 小川未明 「自分を鞭打つ感激より」
・・・ 私は生れつき特権というものを毛嫌いしていたので、私の学校が天下の秀才の集るところだという理由で、生徒たちは土地で一番もてる人種であり、それ故生徒たちは銭湯へ行くのにも制服制帽を着用しているのを滑稽だと思ったので、制服制帽は質に入れて、・・・ 織田作之助 「髪」
・・・袴をはくのがきらいだったので、下宿を出る時、懐へ袴をつっ込んで行き、校門の前で出してはいたという。制帽も持たなかった。だから、誰も彼を学生だと思うものはなかった。労働者か地廻りのように思っていた。貧しく育った彼は貧乏人の味方であり、社会改造・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・魔法使いに、白線ついた制帽は不似合いと思ったのかも知れません。「オペラの怪人」という綽名を友人達から貰って、顔をしかめ、けれども内心まんざらでもないのでした。もう一枚のマントはプリンス・オヴ・ウエルスの、海軍将校としてのあの御姿を美しいと思・・・ 太宰治 「おしゃれ童子」
出典:青空文庫