・・・一身の利害に対して頭がよい人は戦士にはなりにくい。 頭のいい人には他人の仕事のあらが目につきやすい。その結果として自然に他人のする事が愚かに見え従って自分がだれよりも賢いというような錯覚に陥りやすい。そうなると自然の結果として自分の向上・・・ 寺田寅彦 「科学者とあたま」
・・・に「戦士の亡骸が運び込まれたのを見ても彼女は気絶もせず泣きもしなかったので、侍女たちは、これでは公主の命が危ういと言った、その時九十歳の老乳母が戦士の子を連れて来てそっと彼女のひざに抱きのせた、すると、夏の夕立のように涙が降って来た」という・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・ 中学時代に相撲が好きで得意であったような友人の大部分は卒業後陸軍へはいったが、それがほとんど残らず日露戦役で戦死してしまって生き残った一人だけが今では中将になっている。海軍へはいった一人は戦死しなかった代わりに酒をのんでけんかをして短・・・ 寺田寅彦 「相撲」
・・・しかし自分の弱さと戦う戦士としては決して弱くなかった。平静な水面のような外見の底に不断に起こっていた渦巻がいかに強烈なものであったかは今私の手もとにある各種の手記を見ればわかる。そういう意味で亮は生まれつき強い人々よりも幾倍も強い男であった・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・あたかも明治の初年日本の人々が皆感激の高調に上って、解脱又解脱、狂気のごとく自己を擲ったごとく、我々の世界もいつか王者その冠を投出し、富豪その金庫を投出し、戦士その剣を投出し、智愚強弱一切の差別を忘れて、青天白日の下に抱擁握手抃舞する刹那は・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・此の人は其後陸軍士官となり日清戦争の時、血気の戦死を遂げた位であったから、殺戮には天性の興味を持って居たのであろう。日頃田崎と仲のよくない御飯焚のお悦は、田舎出の迷信家で、顔の色を変えてまで、お狐さまを殺すはお家の為めに不吉である事を説き、・・・ 永井荷風 「狐」
・・・マタ宇内ノ絶観ナリ。先師慊叟カツテ予ニ語ツテ、吾京師及芳山ノ花ヲ歴覧シキ。然レドモ風趣ノ墨水ニ及ブモノナシト。洵ニ然リ。」云 江戸名家の文にして墨水桜花の美を賞したものは枚挙するに遑がない。しかし京師および吉野山の花よりも優っていると言・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・愛らしい生々した子であったが、昨年の夏、君が小田原の寓居の中に意外にもこの子を失われたので、余は前年旅順において戦死せる余の弟のことなど思い浮べて、力を尽して君を慰めた。しかるに何ぞ図らん、今年の一月、余は漸く六つばかりになりたる己が次女を・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・』 と、眼には涙がほろほろと溢れてお居ででしたが、『お前さんが戦死さッしゃッても、日本中の人の為だと思って私諦めるだからね、お前さんも其気で……ええかね。』と、赤さんを抱いてお居での方は袖に顔を押当てお了いでした。 涙を拭いたのは、・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・海陸軍の医士、法学士、または会計官が、戦士を指揮して操練せしめ、または戦場の時機進退を令するの難きは、人皆これを知りながら、政治の事務家が教育の法方を議し、その書籍を撰定し、または教場の時間、生徒の進退を指令するの難きを知らざる者あらんや。・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
出典:青空文庫