・・・学問は好きだったから出来る方の組で、副級長などもやったことがあるが、何しろ欠席が多かったから、十分には勤まらない。先生はどの先生も私を可愛がってくれたし、欠席がつづくと私の家へ訪ねてきてくれたりした。しかし私には同級生の意地悪共が怖い。意地・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・ 明治四十二三年の頃鴎外先生は学生時代のむかしを追回せられてヰタセクスアリス及び雁と題する小説二篇を草せられた。雁の篇中に現れ来る人物と其背景とは明治十五六年代のものであろう。先生の大学を卒業せられたのは明治十七年であったので、即春の家・・・ 永井荷風 「上野」
・・・無限の哀傷は恐ろしい専制時代の女子教育の感化が遺伝的に下町の無教育な女の身に伝っている事を知るがためである。無限の感謝は新時代の企てた女子教育の効果が、専制時代のそれに比して、徳育的にも智育的にも実用的にも審美的にも一つとして見るべきものの・・・ 永井荷風 「妾宅」
木の葉の間から高い窓が見えて、その窓の隅からケーベル先生の頭が見えた。傍から濃い藍色の煙が立った。先生は煙草を呑んでいるなと余は安倍君に云った。 この前ここを通ったのはいつだか忘れてしまったが、今日見るとわずかの間にもうだいぶ様子・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生」
・・・村では小学校の先生程の学者はない、私は先生の学校に入ったのである。然るに幸か不幸か私は重いチブスに罹って一年程学校を休んだ。その中、追々世の中のことも分かるようになったので、私は師範学校をやめて専門学校に入った。専門学校が第四高等中学校と改・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・ニイチェは如何にその師匠に叛逆し、昔の先生を「老いたる詐欺師」と罵つたところで、結局やはりショーペンハウエルの変貌した弟子にすぎない。彼はショーペンハウエルが揚棄した意志を、他の一端で止揚したまでである。あの小さな狡猾さうな眼をした、梟のや・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・蓋し女大学の記者は有名なる大先生なれども、一切万事支那流より割出して立論するが故に、男尊女卑の癖は免かる可らず。実際の真面目を言えば、常に能く夜を守らずして内を外にし、動もすれば人を叱倒し人を虐待するが如き悪風は男子の方にこそ多けれども、其・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・かの政談家の常に患える所は、結局民権退縮・専制流行の一箇条にあり。いかにも人間社会の一大悪事にして、これを救わんとするの議論は誠に貴ぶべしといえども、未だよくこの悪事の原因を求め尽したる者にあらざるが如し。そもそも一国の政府にもせよ、また会・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・ その後、宝暦明和の頃、青木昆陽、命を奉じてその学を首唱し、また前野蘭化、桂川甫周、杉田いさい等起り、専精してもって和蘭の学に志し、相ともに切磋し、おのおの得るところありといえども、洋学草昧の世なれば、書籍はなはだ乏しく、かつ、これを学・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾の記」
・・・ すなわち東洋諸国専制流の慣手段にして、勝氏のごときも斯る専制治風の時代に在らば、或は同様の奇禍に罹りて新政府の諸臣を警しむるの具に供せられたることもあらんなれども、幸にして明治政府には専制の君主なく、政権は維新功臣の手に在りて、その主・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
出典:青空文庫