・・・……「十一月×日 俺は今日洗濯物を俺自身洗濯屋へ持って行った。もっとも出入りの洗濯屋ではない。東安市場の側の洗濯屋である。これだけは今後も実行しなければならぬ。猿股やズボン下や靴下にはいつも馬の毛がくっついているから。……「十二月×・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・まして柑類の木の茂った、石垣の長い三角洲はところどころに小ぢんまりした西洋家屋を覗かせたり、その又西洋家屋の間に綱に吊った洗濯ものを閃かせたり、如何にも活き活きと横たわっていた。 譚は若い船頭に命令を与える必要上、ボオトの艫に陣どってい・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・ 処女崇拝 我我は処女を妻とする為にどの位妻の選択に滑稽なる失敗を重ねて来たか、もうそろそろ処女崇拝には背中を向けても好い時分である。 又 処女崇拝は処女たる事実を知った後に始まるものである。即ち卒直・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・…… 年増分が先へ立ったが、いずれも日蔭を便るので、捩れた洗濯もののように、その濡れるほどの汗に、裾も振もよれよれになりながら、妙に一列に列を造った体は、率いるものがあって、一からげに、縄尻でも取っていそうで、浅間しいまであわれに見える・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・「これを着ましょうかねえ。」「洗濯をしたばかりだ、船虫は居ねえからよ。」 緋鹿子の上へ着たのを見て、「待っせえ、あいにく襷がねえ、私がこの一張羅の三尺じゃあ間に合うめえ! と、可かろう、合したものの上へ〆めるんだ、濡れていて・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・そこに着物などほしかけて女がひとり洗濯をやっていた。これが予のいまおる宿である。そして予はいま上代的紅顔の美女に中食をすすめられつついる。予はさきに宿の娘といったが、このことばをふつうにいう宿屋の娘の軽薄な意味にとられてはこまる。 予の・・・ 伊藤左千夫 「河口湖」
・・・おとよはわが家の裏庭の倉の庇に洗濯をやっている。 こんな夜ふけになぜ洗濯をするかというに、風呂の流し水は何かのわけで、洗い物がよく落ちる、それに新たに湯を沸かす手数と、薪の倹約とができるので、田舎のたまかな家ではよくやる事だ。この夜おと・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・家の惣菜なら不味くても好いが、余所へ喰べに行くのは贅沢だから選択みをするのが当然であるというのが緑雨の食物哲学であった。その頃は電車のなかった時代だから、緑雨はお抱えの俥が毎次でも待ってるから宜いとしても、こっちはわざわざ高い宿俥で遠方まで・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・教師が媒酌人となるは勿論、教師自から生徒を娶る事すら不思議がられず、理想の細君の選択に女学校の教師となるものもあった。或る女学校では女生の婚約の夫が定まると、女生は未来の良人を朋友の集まりに紹介するを例とし、それから後は公々然と音信し往来す・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・病気をさせない心配から、病気になった時の心配、また、怪我をさせないように注意することから、友達の選択や、良い習慣をつけなければならぬことに気を労する等、一々算えることができないでありましょう。ある時は、それがために、子供を持たない人々を幸福・・・ 小川未明 「男の子を見るたびに「戦争」について考えます」
出典:青空文庫