・・・せめて二三千円の金でも残ったら、こうした処へ引っこんで林檎畠の世話でもして、糞草鞋を履いて働いてもいいから暢気に暮したいものだと。……僕もあまり身体が丈夫でありませんからね。今でも例の肋膜が、冬になると少しその気が出るんですよ」 惣治も・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・ この某町から我村落まで七里、もし車道をゆけば十三里の大迂廻になるので我々は中学校の寄宿舎から村落に帰る時、決して車に乗らず、夏と冬の定期休業ごとに必ず、この七里の途を草鞋がけで歩いたものである。 七里の途はただ山ばかり、坂あり、谷・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・ 汗じみて色の変わった縮布の洋服を着て脚絆の紺もあせ草鞋もぼろぼろしている。都からの落人でなければこんな風をしてはいない。すなわち上田豊吉である。 二十年ぶりの故郷の様子は随分変わっていた。日本全国、どこの城下も町は新しく変わり、士・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・、この野の中に縦横に通ぜる十数の径の上を何百年の昔よりこのかた朝の露さやけしといいては出で夕の雲花やかなりといいてはあこがれ何百人のあわれ知る人や逍遥しつらん相悪む人は相避けて異なる道をへだたりていき相愛する人は相合して同じ道を手に手とりつ・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・自然に相愛して結婚し、幸福な家庭を作って、終生愛し通して終わる者ははなはだ多い。しかしそうした場合でもその「幸福」というのは見掛けのものであって、当時者の間にはいろいろの不満も、倦怠も、ときには別離の危険さえもあったであろうが、愛の思い出と・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・前の嚊にこそ血筋は引け、おらには縁の何も無いが、おらあ源三が可愛くって、家へ帰るとあいつめが叔父さん叔父さんと云いやがって、草鞋を解いてくれたり足の泥を洗ってくれたり何やかやと世話を焼いてくれるのが嬉しくてならない。子という者あ持ったことも・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・苦しさ耐えがたけれど、銭はなくなる道なお遠し、勤という修行、忍と云う観念はこの時の入用なりと、歯を切ってすすむに、やがて草鞋のそこ抜けぬ。小石原にていよいよ堪え難きに、雨降り来り日暮るるになんなんたり。やむをえず負える靴をとりおろして穿ち歩・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・一里も二里もあるところから通うという近在の生徒などは草鞋穿でやって来た。 まだ時が早くて、高瀬は先生の室を見る暇があった。教室の上にある二階の角が先生のデスクや洋風の書架の置並べてあるところだ。亜米利加に居た頃の楽しい時代でも思出したよ・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・よごれの無い印半纏に、藤色の伊達巻をきちんと締め、手拭いを姉さん被りにして、紺の手甲に紺の脚絆、真新しい草鞋、刺子の肌着、どうにも、余りに完璧であった。芝居に出て来るような、頗る概念的な百姓風俗である。贋物に違いない。極めて悪質の押売りであ・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・へだてたる立葵の二株、おたがい、高い、高い、ときそって伸びて、伸びて、ひょろひょろ、いじけた花の二、三輪、あかき色の華美を誇りし昔わすれ顔、黒くしなびた花弁の皺もかなしく、「九天たかき神の園生、われは草鞋のままにてあがりこみ、たしかに神域犯・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
出典:青空文庫