・・・即ち原稿用紙三枚の久保田万太郎論を草する所以なり。久保田君、幸いに首肯するや否や? もし又首肯せざらん乎、――君の一たび抛下すれば、槓でも棒でも動かざるは既に僕の知る所なり。僕亦何すれぞ首肯を強いんや。僕亦何すれぞ首肯を強いんや。 因に・・・ 芥川竜之介 「久保田万太郎氏」
・・・ この稿を草する間にも、彼はいかがわしい施薬結果を、全国の新聞紙上に広告した。即ち、それによると、過去四ヵ月の間に七十名の貧病者に無料施薬をしたというのである。全国数十万の肺患者のうち、僅か七十名に施薬しただけのことを、鬼の首でもとった・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・本稿を草するにあたって、貧弱な、自分の過去の読書を頼りにして、それを再吟味し、纒めるよりほかなかった。恐らく、いろ/\な疎漏があると思う。それに、年来の宿痾が図書館の古い文献を十分に調べることを妨げた。なお、戦争に関する詩歌についても、与謝・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・ぶざまでも、私は私のヴァイオリンを続けて奏するより他はないのかも知れぬ。汽車の行方は、志士にまかせよ。「待つ」という言葉が、いきなり特筆大書で、額に光った。何を待つやら。私は知らぬ。けれども、これは尊い言葉だ。唖の鴎は、沖をさまよい、そう思・・・ 太宰治 「鴎」
・・・ 本編を草するために参考にした書物は次のようなものである。V. I. Pudovkin : On Film Technique, 1930.W. Pudowkin : Filmregie und Filmmanuskript・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・ 昔は「地を相する」という術があったが明治大正の間にこの術が見失われてしまったようである。颱風もなければ烈震もない西欧の文明を継承することによって、同時に颱風も地震も消失するかのような錯覚に捕われたのではないかと思われるくらいに綺麗に颱・・・ 寺田寅彦 「颱風雑俎」
・・・四月四日 日曜で早朝楽隊が賛美歌を奏する。なんとなく気持ちがいい。十時に食堂でゴッテスディーンストがある。同じ事でも西洋の事は西洋人がやっているとやはり自然でおかしくない。四月五日 朝甲板へ出て見ると右舷に島が二つ見える。窓・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・ たとえば、昔の日本人が集落を作り架構を施すにはまず地を相することを知っていた。西欧科学を輸入した現代日本人は西洋と日本とで自然の環境に著しい相違のあることを無視し、従って伝来の相地の学を蔑視して建てるべからざる所に人工を建設した。そう・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・もちろんこれらの人々は一方ではそれぞれの本来の職務に従事しているが、その職務時間の若干をさいて公衆のためにこれらの記事を草するという事は少しも不都合とは思われないのみならず、むしろそういう事は職務に付帯した義務の一部分と考えられない事はない・・・ 寺田寅彦 「一つの思考実験」
・・・しかしたまたまこの稿を草するに当って、思い出したのは或夜父が晩餐の後、その書斎で雑談しておられた時、今夜は十三夜だと言って、即興の詩一篇を示された事である。その詩は父の遺稿に、蘆花如雪雁声寒 〔蘆花は雪の如く 雁の声は寒し把酒・・・ 永井荷風 「十九の秋」
出典:青空文庫