・・・こういうトピックスで逆毛立った高速度ジャズトーキーの世の中に、彼は一八五〇年代の学者の行なった古色蒼然たる実験を、あらゆる新しきものより新しいつもりで繰り返しているのであろう。そうして過去のベースを逆回りして未来のホームベースに到着する夢を・・・ 寺田寅彦 「野球時代」
・・・ 亮の死の報知が伝わった時に、F町の知友たちは並み並みならぬ好意を故人の記念の上に注いでくれた。生前から特別な恩典を与えて心安く療養をさせてくれた学校当局は、さらに最後の光栄を尽くさしてくれた。親しかった人々は追悼会や遺作展覧会を開いて・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・今わたくしがこれに倣って、死後に葬式も墓碣もいらないと言ったなら、生前自ら誇って学者となしていたと、誤解せられるかも知れない。それ故わたくしは先哲の異例に倣うとは言わない。唯死んでも葬式と墓とは無用だと言っておこう。 自動車の使用が盛に・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・ わたくしの父は、生前文部省の役人で一時帝国大学にも関係があったので、わたくしは少年の頃から学閥の忌むべき事や、学派の軋轢の恐るべき事などを小耳に聞いて知っていた。しかしこれは勿論わたくしが三田を去った直接の原因ではない。わたくしの友人・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・そうして更に無数の囁が騒然として空間に満ちる。電光が針金の如き白熱の一曲線を空際に閃かすと共に雷鳴は一大破壊の音響を齎して凡ての生物を震撼する。穹窿の如き蒼天は一大玻璃器である。熾烈な日光が之を熱して更に熱する時、冷却せる雨水の注射に因って・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・カーライルの歿後は有志家の発起で彼の生前使用したる器物調度図書典籍を蒐めてこれを各室に按排し好事のものにはいつでも縦覧せしむる便宜さえ謀られた。 文学者でチェルシーに縁故のあるものを挙げると昔しはトマス・モア、下ってスモレット、なお下っ・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・一度びは猛き心に天主をも屠る勢であった寄手の、何にひるんでか蒼然たる夜の色と共に城門の外へなだれながら吐き出される。搏つ音の絶えたるは一時の間か。暫らくは鳴りも静まる。 日は暮れ果てて黒き夜の一寸の隙間なく人馬を蔽う中に、砕くる波の音が・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・で古色蒼然としていて実に安い掘出し物だ。しかし為替が来なくっては本も買えん、少々閉口するな、そのうち来るだろうから心配する事も入るまい、……ゴンゴンゴンそら鳴った。第一の銅鑼だ、これから起きて仕度をすると第二の「ゴング」が鳴る。そこでノソノ・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・鎖ばかりは敷石の上に落ちて鏘然と鳴る。「いかにしても逢う事は叶わずや」と女が尋ねる。「御気の毒なれど」と牢守が云い放つ。「黒き塔の影、堅き塔の壁、寒き塔の人」と云いながら女はさめざめと泣く。 舞台がまた変る。 丈の高い黒・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・白い旗が、ヒラヒラと、彼の生前を思わせる応援旗のようにはためいた。 安岡は、そのことがあってのちますます淋しさを感ずるようになった。部屋が広すぎた。松が忍び足のように鳴った。国分寺の鐘が陰にこもって聞こえてくるようになった。 こうい・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
出典:青空文庫