・・・ 騎兵は――近づいたのを見れば曹長だった。それが二人の支那人を見ると、馬の歩みを緩めながら、傲然と彼に声をかけた。「露探か? 露探だろう。おれにも、一人斬らせてくれ。」 田口一等卒は苦笑した。「何、二人とも上げます。」「・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・ たとい地方でも何でも、新聞は早朝に出る。その東雲御覧を、今やこれ午後二時。さるにても朝寝のほど、昨日のその講演会の帰途のほども量られる。「お客様でございますよう。」 と女中は思入たっぷりの取次を、ちっとも先方気が着かずで、つい・・・ 泉鏡花 「縁結び」
・・・ 翌早朝、小使部屋の炉の焚火に救われて蘇生ったのであります。が、いずれにも、しかも、中にも恐縮をしましたのは、汽車の厄に逢った一人として、駅員、殊に駅長さんの御立会になった事でありました。大正十年四月・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・ 鴎外が博物館総長の椅子に坐るや、世間には新館長が積弊を打破して大改革をするという風説があった。丁度その頃、或る処で鴎外に会った時、それとなく噂の真否を尋ねると、なかなかソンナわけには行かないよ、傍観者は直ぐ何でも改革出来るように思・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・馬琴が聖嘆の七十回本『水滸伝』を難じて、『水滸』の豪傑がもし方臘を伐って宋朝に功を立てる後談がなかったら、『水滸伝』はただの山賊物語となってしまうと論じた筆法をそのまま適用すると、『八犬伝』も八犬具足で終って両管領との大戦争に及ばなかったら・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・とあたかも軍令部長か参謀総長でもあるかのようなプライドが満面に漲っていた。恐らくこの歓喜を一人で味ってられないで、周章てて飛んで来たのであろう。九 二葉亭の破壊力 二葉亭に親近した或る男はいった。「二葉亭は破壊者であって、人・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・世間は既に政治小説に目覚めて、欧米文学の絢爛荘重なるを教えられて憧憬れていた時であったから、彼岸の風を満帆に姙ませつつこの新らしい潮流に進水した春廼舎の『書生気質』はあたかも鬼ガ島の宝物を満載して帰る桃太郎の舟のように歓迎された。これ実に新・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・袋は三個しかなく、早朝から三個のハミガキ粉を持って来て商売になるのだろうかと、ひとごとでなく眺めた。自分もいつかはこの闇市に立たねばならぬかも知れぬのだ。親子三人掛かりで、道端にしゃがみながら、巻寿司を売っているのもいた。 闇市を見物し・・・ 織田作之助 「世相」
・・・面会の時間はかなりの早朝だったから、原稿を書く仕事で夜ふかしする癖の私は、寝過さぬ要心に、徹夜して朝を待つことにした。うっかり寝てしまうと、なかなか思った時間に眼が覚めないと心配したからだ。雨も風も容易に止まなかった。風速十三米と覚しき烈風・・・ 織田作之助 「面会」
・・・汝今日の狂喜は他日汝の裏に熟して荘重深沈なる歓と化し汝の心はまさにしき千象の宮、静かなる万籟の殿たるべし。 ああ果たしてしからんか、あるいは孤独、あるいは畏懼、あるいは苦痛、あるいは悲哀にして汝を悩まさん時、汝はまさにわがこの言を憶うべ・・・ 国木田独歩 「小春」
出典:青空文庫