・・・ 先ず最初に胸に浮んだ趣向は、月明の夜に森に沿うた小道の、一方は野が開いて居るという処を歩行いて居る処であった。写実写実と思うて居るのでこんな平凡な場所を描き出したのであろう。けれども景色が余り広いと写実に遠ざかるから今少し狭く細かく写・・・ 正岡子規 「句合の月」
・・・それから山の脊に添うて曲りくねった路を歩むともなく歩でいると、遥の谷底に極平たい地面があって、其処に沢山点を打ったようなものが見える。何ともわからぬので不思議に堪えなかった。だんだん歩いている内に、路が下っていたと見え、曲り角に来た時にふと・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・ 橋の上に来て左右を見わたすと、幅の広い水がだぶりだぶりと風にゆさぶられて居るのが、大きな壮快な感じがする。年が年中六畳の間に立て籠って居る病人にはこれ位の広さでも実際壮大な感じがする。舟はいくつも上下して居るが、帆を張って遡って行く舟・・・ 正岡子規 「車上の春光」
・・・「北緯二十五度東経六厘の処に目的のわからない大きな工事ができました」「そうだ。では早く。そのうち私は決してここを離れないから」 蟻の子供らはいちもくさんにかけて行きます。 歩哨は剣をかまえて、じっとそのまっしろな太い柱の、大・・・ 宮沢賢治 「ありときのこ」
・・・「豪儀じゃ、豪儀じゃ、そちは左程になけれども、そちの身に添う慾心が実に大力じゃ。大力じゃのう。ほめ遣わす。ほめ遣わす。さらばしかと預けたぞよ」 さむらいは銀扇をパッと開いて感服しましたが、六平は余りの重さに返事も何も出来ませんでした・・・ 宮沢賢治 「とっこべとら子」
・・・もあれでよいとして、もしその間におふみと芳太郎とが万歳をやりながら互に互の眼を見合わせるその眼、一刹那の情感ある真面目ささえもっと内容的に雄弁につかまれ活かされたら、どんなに監督溝口が全篇をそれで潤わそうとしているペソスが湧いたか知れないと・・・ 宮本百合子 「「愛怨峡」における映画的表現の問題」
・・・ 汽車が秋田市を出発して間もなく、窓の左右は目もはるかな稲田ばかりの眺めとなった。はるか左側に雄大な奥羽山脈をひかえ、右手に秋田の山々が見える。その間の盆地数十里の間、行けど、行けど、青々と茂った稲ばかりである。 関東の農村は、汽車・・・ 宮本百合子 「青田は果なし」
・・・よきにつけあしきにつけ主動的であり、積極的である男心に添うて、娘としては親のために、嫁いでは良人のために、老いては子のために自分の悲喜を殺し、あきらめてゆかねばならない女心の悶えというものを、近松は色彩濃やかなさまざまのシチュエーションの中・・・ 宮本百合子 「新しい船出」
・・・ ほとんど終日、アムール河の上流シグハ川に沿うて走る。雪、深し。灌木地帯で、常磐木は見えない。山がある。民家はシベリアとは違い薄い板屋根だ。どの家も、まわりに牧柵をゆって、牛、馬、豚、山羊などを飼っている。家も低い、牧柵もひくい。そして・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・「女は柔(しい名の方がどれだけいいんだか…… 私の若い頃は名のあんまりすごい女はいやがられたもんだ……」 母親が娘の苦情をきいた半に斯う云った。「ソウ、咲くかと思えばじきにしぼんで散ってしまう花――じきにとしよりになる様なお・・・ 宮本百合子 「お女郎蜘蛛」
出典:青空文庫