・・・ 宗俊は、金無垢の煙管をうけとると、恭しく押頂いて、そこそこ、また西王母の襖の向うへ、ひき下った。すると、ひき下る拍子に、後から袖を引いたものがある。ふりかえると、そこには、了哲が、うすいものある顔をにやつかせながら、彼の掌の上にある金・・・ 芥川竜之介 「煙管」
・・・ 粟野さんはどちらかと言えば借金を断られた人のように、十円札をポケットへ収めるが早いか、そこそこ辞書や参考書の並んだ書棚の向うへ退却した。あとにはまた力のない、どこかかすかに汗ばんだ沈黙ばかり残っている。保吉はニッケルの時計を出し、その・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・これに荒胆を挫がれた新蔵は、もう五分とその場に居たたまれず、捨台辞を残すのもそこそこで、泣いているお敏さえ忘れたように、蹌踉とお島婆さんの家を飛び出しました。 さて日本橋の家へ帰って、明くる日起きぬけに新聞を見ると、果して昨夜竪川に身投・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・ 一日働き暮すとさすが労働に慣れ切った農民たちも、眼の廻るようなこの期節の忙しさに疲れ果てて、夕飯もそこそこに寝込んでしまったが、仁右衛門ばかりは日が入っても手が痒くてしようがなかった。彼れは星の光をたよりに野獣のように畑の中で働き・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・つれの家内が持って遣ろうというのだけれど、二十か、三十そこそこで双方容子が好いのだと野山の景色にもなろうもの……紫末濃でも小桜縅でも何でもない。茶縞の布子と来て、菫、げんげにも恥かしい。……第一そこらにひらひらしている蝶々の袖に対しても、果・・・ 泉鏡花 「若菜のうち」
・・・ あらア荒場の伯父さんだよって、母子が一所にそういって、小牛洗いはそこそこにさすが親身の挨拶は無造作なところに、云われないなつかしさが嬉しい、まア伯父さんこんな形では御挨拶も出来ない、どうぞまア足を洗って下さい、そういうより早く水を汲ん・・・ 伊藤左千夫 「姪子」
・・・僕はこらえていた不愉快の上に、また何だか、おそろしいような気が加わって、そこそこに帰って来た。 一〇 吉弥は、よもや、僕がたびたび勧め、かの女も十分決心したと言ったことを忘れはしまい。よしんば、親が承知しないで、その・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・とムックリ起上って、そこそこに顔を洗ってから一緒に家を出で、津の守から坂町を下り、士官学校の前を市谷見附まで、シラシラ明けのマダ大抵な家の雨戸が下りてる中をブラブラと送って来た。八幡の鳥居の傍まで来て別れようとした時、何と思った乎、「イヤ、・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ 電車会社の慰謝金はなぜか百円そこそこの零砕な金一封で、その大半は暇をとることになった見習弟子にくれてやる肚だった。 そんなお君に中国の田舎から来た親戚の者は呆れかえって、葬式、骨揚げと二日の務めをすますと、さっさと帰って行き、家の・・・ 織田作之助 「雨」
・・・同じ商売の林芙美子さんですら五尺八寸のヒョロ長い私に会うまでは、五尺そこそこのチンチクリンの前垂を掛けた番頭姿を想像していたくらいだから、読者は私の小説を読んで、どんなけがらわしい私を想像していたか、知れたものではない。バイキンのようにけが・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
出典:青空文庫