・・・ 藤村庵というのがあって、そこには藤村氏の筆跡が壁に掛け並べてあったり、藤村文献目録なども備えてある。現に生きて活動している文人にゆかりのある家をこういうふうにしてあたかも古人の遺跡のように仕立ててあるのもやはりちょっと珍しいような気が・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・しかし大多数の読者がこの点について一通りの予備知識を備えているものと仮定してもおそらくたいした不都合はあるまいと思う。 ついでながら、自分のような門外漢がこの講座のこの特殊項目に筆を染めるという僣越をあえてするに至った因縁について一言し・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・を築いて花を供えたりして、そういう場合におとなの味わう機微な感情の胚子に類したものを味わっているらしく見える。子供が虫をつかまえたり、いじめたり殺したりするのは、やはりいわゆる種属的記憶と称するものの一つでもあろうか。このような記憶あるいは・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
・・・こういうものを供えて星を祭った昔の女の心根には今の若い婦人たちの胸の中のどこを捜してもないような情緒の動きがあったのではないかという気もするのである。 今の娘たちから見ると、眉を落とし歯を涅めた昔の女の顔は化け物のように見えるかもしれな・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・日本にもあるような秋草が咲いていたり、踏切番の小屋に菊が咲いていたり、路傍のマリヤのみ堂に花が供えてあるのも見ました。シャモニの町へはいるころには、もう日が暮れかかって、まっかな夕日がブゾンの氷河の頂を染めた時は実にきれいでした。村の町には・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・T氏はこれに花を供えて拝していた。 帰途に案内者のハリーがいろいろの人の推薦状を見せて自慢したりした。N氏の英語はうまいがT氏のはノーグードだなどと批評した。年を聞くと四十五だという。われわれは先祖代々の宗教を守っているのに、土人の中に・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・死骸はもう棺のなかへ収まって、花も備えてあれば、盛物もしてある。ちゃんと番人までつけて、線香を絶やさないようにしてある。 そこで上官の方にもお目にかかって、忰の死んだ始末も会得の行くように詳しくお話し下すったんですよ。その時お目にかかっ・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・ことにそれ自身に活動力を具えて生存するものには変化消長がどこまでもつけ纏っている。今日の四角は明日の三角にならないとも限らないし、明日の三角がまたいつ円く崩れ出さないとも云えない。要するに幾何学のように定義があってその定義から物を拵え出した・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・二十六年も娑婆の気を吸ったものは病気に罹らんでも充分死ぬ資格を具えている。こうやって極楽水を四月三日の夜の十一時に上りつつあるのは、ことによると死にに上ってるのかも知れない。――何だか上りたくない。しばらく坂の中途で立って見る。しかし立って・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・ただ翻身一回、此智、此徳を捨てた所に、新な智を得、新な徳を具え、新な生命に入ることができるのである。これが宗教の真髄である。宗教の事は世のいわゆる学問知識と何ら交渉もない。コペルニカスの地動説が真理であろうが、トレミーの天動説が真理であろう・・・ 西田幾多郎 「愚禿親鸞」
出典:青空文庫