・・・よって件の古外套で、映画の台本や、仕入ものの大衆向で、どうにか世渡りをしているのであるから。「陽気も陽気だし、それに、山に包まれているんじゃない、その市場のすぐ見通しが、大きな湖だよ、あの、有名な宍道湖さ。」「あら、山の中だって、お・・・ 泉鏡花 「古狢」
一 『八犬伝』と私 昔は今ほど忙しくなくて、誰でも多少の閑があったものと見える。いわゆる大衆物はやはり相応に流行して読まれたが、生活が約しかったのと多少の閑があったのとで、買うよりは貸本屋から借りては面・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・けれど、それのみの世界というものは、現実に於てあり得ない。大衆といい、民衆といい、抽象的に、いかように人間を考えらるゝことはあっても、実際に於ける、大衆の生活、民衆の生活は、全く個別的のものであった。 どこに行っても、人間は、みな自分と・・・ 小川未明 「彼等流浪す」
・・・ いまこゝでは、資本家等の経営する職業雑誌が、大衆向きというスローガンを掲げることの誤謬であり、また、この時代に追従しなければならぬ作家等が、資本家の意志を迎えて、いつしか真の芸術を忘れるに至ったことを指摘しようと思います。 先ず、・・・ 小川未明 「作家としての問題」
・・・ ナロード主義が、空想的であって、マルクス主義が科学的である故に、前者に、大衆を獲得する力がないといって、貶することができるであろうか。 その時代の民衆作家は、みなナロードの精神を有していた。彼等は、親しく、農村の生活を観察したるに・・・ 小川未明 「純情主義を想う」
・・・同じく、文化を名目とはするものゝ、珍らしい、特志の出版家でもないかぎり、出版は、資本主義機構上の企業であり、商業であり、商品であり、また今日の如く、大衆を顧客とするには、著者の趣味如何にかゝわらず、粗製濫造も仕方のないことになるのです。・・・ 小川未明 「書を愛して書を持たず」
・・・近づいた途端、妙に熱っぽい体臭がぷんと匂った。「お散歩ですの?」 女はひそめた声で訊いた。そして私の返事を待たず、「御一緒に歩けしません?」 迷惑に思ったが、まさか断るわけにはいかなかった。 並んで歩きだすと、女は、あの・・・ 織田作之助 「秋深き」
東より順に大江橋、渡辺橋、田簑橋、そして船玉江橋まで来ると、橋の感じがにわかに見すぼらしい。橋のたもとに、ずり落ちたような感じに薄汚い大衆喫茶店兼飯屋がある。その地下室はもとどこかの事務所らしかったが、久しく人の姿を見うけ・・・ 織田作之助 「馬地獄」
・・・と手をもって、近代小説の可能性をギリギリまで追いつめたというのか。「面白い小説を書こうとしていたのはわれわれの間違いでした」と大衆文学の作者がある座談会で純文学の作家に告白したそうだが、純文学大衆文学を通じて、果して日本の文学に「アラビヤン・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・ ぐらいのことは言い、いよいよとなれば、飲む覚悟も気休めにしていたほどであったから、一般大衆の川那子肺病薬に対する盲信と来たら、全くジフイレスのサルバルサンに於けるようなものだった――と、言って過言ではあるまい。病人にはっきり肺病だと知・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
出典:青空文庫