・・・ともう真中へ座蒲団を持出して、床の間の方へ直しながら、一ツくるりと立身で廻る。「構っちゃ可厭だよ。」と衝と茶の間を抜ける時、襖二間の上を渡って、二階の階子段が緩く架る、拭込んだ大戸棚の前で、入ちがいになって、女房は店の方へ、ばたばたと後・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・劇の如きも今日でこそ猫も杓子も書く、生れて以来まだ一度も芝居の立見さえした事のない連中が一と幕物を書いてる。児供のカタゴトじみた文句を聯べて辻褄合わぬものをさえ気分劇などと称して新らしがっている事の出来る誠に結構な時勢である。が、坪内君が『・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・けれど、ぐっすりとすぐに眠りに陥ることができなかった。「都会が、いたずらに華美であり、浮薄であることを知らぬのでない。自分は、かつて都会をあこがれはしなかった。けれど、立身の機会は、つかまなければならぬ。世の中へ出るには、ただあせっても・・・ 小川未明 「空晴れて」
・・・教師さえも全くは覚束ないのですけれど、叔母の家が村の旧家で、その威光で無理に雇ってもらったという次第でございました、母の病気の時、母はくれぐれも女に気をつけろと、死ぬる間際まで女難を戒しめ、どうか早く立身してくれ、草葉の蔭から祈っているぞと・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・そこにも、支配階級の立場と、当時の進取的な、いわゆる立身成功を企図したブルジョアイデオロギーの反映がある。「愛弟通信」を読み終って、これが、新聞への通信ということに制約されたにもよるのだろうが、戦闘ばかりでなく、戦闘から戦闘への間の無為・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・私は、あなたを、この世で立身なさるおかたとは思わなかったのです。死ぬまで貧乏で、わがまま勝手な画ばかり描いて、世の中の人みんなに嘲笑せられて、けれども平気で誰にも頭を下げず、たまには好きなお酒を飲んで一生、俗世間に汚されずに過して行くお方だ・・・ 太宰治 「きりぎりす」
・・・ 濡れた水着のままでよく真砂座の立見をした事があった。永代の橋の上で巡査に咎められた結果、散々に悪口をついて捕えられるなら捕えて見ろといいながら四、五人一度に橋の欄干から真逆様になって水中へ飛込み、暫くして四、五間も先きの水面にぽっくり・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・大入で這入れないからガレリーで立見をしていると傍のものが、あすこにいる二人は葡萄耳人だろうと評していた。――こんな事を話すつもりではなかった。話しの筋が分らなくなった。ちょっと一服してから出直そう。 まず散歩でもして帰るとちょっと気分が・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・百姓の子が学問して後に立身するは、親の心にあくまでも望む所なれども、いかんせん、その子は今日家内の一人にして、これを手離すときはたちまち世帯の差支となりて、親子もろとも飢寒の難渋まぬかれ難し。これを下等の貧民幾百万戸一様の有様という。 ・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・ また、封建世禄の世において、家の次男三男に生れたる者は、別に立身の道を得ず。あるいは他の不幸にして男児なき家あれば、養子の所望を待ちてその家を相続し、はじめて一家の主人たるべし。次三男出身の血路は、ただ養子の一方のみなれども、男児なき・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
出典:青空文庫