・・・氏は新政府に出身して啻に口を糊するのみならず、累遷立身して特派公使に任ぜられ、またついに大臣にまで昇進し、青雲の志達し得て目出度しといえども、顧みて往事を回想するときは情に堪えざるものなきを得ず。 当時決死の士を糾合して北海の一隅に苦戦・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・ 二、ペンネンネンネンネン・ネネムの立身 ペンネンネンネンネン・ネネムは十年のあいだ木の上に直立し続けた為にしきりに痛む膝を撫でながら、森を出て参りました。森の出口に小さな雑貨商がありましたので、ネネムは店にはいって、ま・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・グリュントゲンスは才能はあったが、あとではナチスに加って、ベルリン国立劇場支配人と立身したような性格であったため、エリカの結婚生活はながくつづかず、離婚して故郷のミュンヘンにかえった。そして、国立劇場や小劇場に出演した。ショウの「セント・ジ・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
・・・金のある商人は息子がやがて立身して、より大きな権力者になるように、富農の親父は大地主になった息子を夢みて学校へ入れていたのだった。 一九一七年の「十月」は、ロシアじゅうの学校を、ソヴェト同盟全土の学校を、しっかり自身の階級のものとして掴・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェト同盟の文化的飛躍」
・・・彼にとって、工場管理者という自身の地位は、ブルジョア的な考えかたでの立身――成りあがってつかんだ地位ではない。プロレタリアートによって、そこを守れ! と命ぜられた、責任の重い生産における前線の部署である。いかに恥しめられようと、退かない。そ・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・色々の観察を話しかけましたが、庶民的な環境に育って色々の重い因習と戦いながら、人間として向上しようとしてきた女の人は、向上の方向がグラグラしてくると、その向上心そのものが、一つの極めて妥協的な世俗的な立身の方へいつの間にやら流れ込んでしまう・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・そのなかの一人である安倍源基は特高課長、警視総監、内務大臣と出世したが、その立身の一段一段は小林多喜二の血に染められ岩田義道の命をふみ台にしている。天羽英二は情報局長としてあんなに人民の言論と思想、文化の自由を根こそぎ刈った。 これらの・・・ 宮本百合子 「事実にたって」
・・・こういう可能が、社会条件のうちにあれば、才能というものは、ほんとに皆の宝で、自分だけの立身のタネでないことがわかり、そのことで芸術も高められる条件が加わります。 私ども人間の感情表現が、そういう風にして現実に生活の条件によって変るという・・・ 宮本百合子 「社会と人間の成長」
・・・勤労家庭から長男が立身して、「皆を楽にさせた」時代はとうに過ぎているから、そのような経済的根拠に立って知識人となった青年たちの或るものが、「収獲以前」の主人公のように、自分の一身にそんなにもまざまざと反射している社会矛盾を自覚して、思想的に・・・ 宮本百合子 「全体主義への吟味」
・・・猿面冠者の立身物語は、そのような立身をすることのない封建治下の人民に、人間的あこがれをよびさますよすがであった。自分の生涯にはない、境遇からの脱出の物語だった。太閤記と云う名をきいただけで、日本の庶民の伝承のうちにめをさます予備感情がある。・・・ 宮本百合子 「その柵は必要か」
出典:青空文庫