・・・「酷たらしい話をするとお思いでない。――聞きな。さてとよ……生肝を取って、壺に入れて、組屋敷の陪臣は、行水、嗽に、身を潔め、麻上下で、主人の邸へ持って行く。お傍医師が心得て、……これだけの薬だもの、念のため、生肝を、生のもので見せてから・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・ これが台所会議の決定であったらしい。母の方でもいつまで児供と思っていたが誤りで、自分が悪かったという様な考えに今夜はなったのであろう。今更二人を叱って見ても仕方がない。なに政夫を学校へ遣ってしまいさえせば仔細はないと母の心はちゃんとき・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ その時、吉弥は僕のうしろに坐っているお君の鋭い目に出くわしたらしい。急に険相な顔になって、「何だい、そのにらみざまは? 蛙じゃアあるめいし。手拭をここへ置くのがいけなけりゃア、勝手に自分でどこへでもかけるがいい! いけ好かない小まッち・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・可哀そうに、わたくしのたった一人の孫は、こんな酷たらしい姿になってしまいました。ああ、可哀そうに。可哀そうに。」 爺さんはこう言って、わあわあ泣きながら、子供の首を抱きしめました。 そうしてる内に、手が両方ばらばらになって落ちて来ま・・・ 小山内薫 「梨の実」
・・・ 生れた時のことはむろんおぼえはなかったが、何でも母親の胎内に八月しかいなかったらしい。いわゆる月足らずで、世間にありがちな生れだったけれど、よりによって生れる十月ほど前、落語家の父が九州巡業に出かけて、一月あまり家をあけていたことがあ・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ 他人の世話をするのが好きで、頼まれればいやといえぬ程気が弱く、おまけに欺かれてもそれと気がつかぬお人善しの性格のため、身を亡ぼしたのだとは、考えたくなかったらしい。「おれは酒で身を亡ぼしたのだ」 と、虚勢を張っていた。 貧・・・ 織田作之助 「中毒」
・・・それは春先する、おもしろそうな、笑うようなさざめきでもなく、夏のゆるやかなそよぎでもなく、永たらしい話し声でもなく、また末の秋のおどおどした、うそさぶそうなお饒舌りでもなかったが、ただようやく聞取れるか聞取れぬほどのしめやかな私語の声であっ・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
出典:青空文庫