・・・はなはだたわいのないものである。これを見ていたとき、私のすぐ右側の席にいた四十男がずっと居眠りをつづけて、なんべんとなくその汗臭い頭を私の右肩にぶっつけようぶっつけようとしていた。全くこうした映画に全然興味をもとうという用意のない正直な観客・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(※[#ローマ数字7、1-13-27])」
・・・シャン/\/\と雪ぞりの鈴が聞こえ、村の楽隊のセレネードに二階の窓からグレーチヘンが顔を出す。たわいもない幻影を追う目がガラス棚のチョコレートに移ると、そこに昔の夢のビスケット箱の中のメールコーチが出現し、五十年前の父母の面影がちらつき、左・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・この場合にこの人たちをこんなにたわいなく笑わせているのは談話の内容よりもむしろこれらの人の内的外的な環境条件ではないかという気がした。 午前中忙しく働く。それが正午のベルだか笛だかで解放され向こう一時間の自由を保証されて食堂へかけ込む。・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・町の音楽隊がセレナーデを奏して通るのを高い窓からグレーチヘンが見おろしている、といったようなきわめて甘いたわいのない子供らしい夢の中からあらゆる具体的な表象を全部抜き去ったときに残るであろうと思われるような、全く形態のない幻想のようなもので・・・ 寺田寅彦 「詩と官能」
・・・ 以上は言わばたわいもない春宵の空想に過ぎないのであるが、しかし、ともかくもわれわれが金城鉄壁と頼みにしている頭蓋骨を日常不断に貫通する弾丸があって、しかもほんの近ごろまではだれ一人夢にもそれを知らずにいたというだけは確かな事実なのであ・・・ 寺田寅彦 「蒸発皿」
・・・そうなったら自分も一つやってみようかなどとこのようなたわいもない夢のような事を思うのもやはり美術シーズンの空気に酔わされた影響かもしれない。 勝手なことを書いて礼を失したところが多いと思う。しかし私の悪口は絵に対しての悪口である。名前を・・・ 寺田寅彦 「昭和二年の二科会と美術院」
・・・読んでみると実はたわいのないようなくだらないものであっても尊いお経のように思われるかもしれない。そういう傾向はたしかにある。文典の巻末にある作文や翻訳の例題と同格な応用数学的論文もなくはない。 近ごろ Heinrich Hackmann・・・ 寺田寅彦 「数学と語学」
・・・夜はもう疲れ切ってたわいもなく深い眠りにおちて、物音に目をさますようには見えなかった。それでも不思議な事にはねずみの跳梁はいつのまにかやんでいた。まれに台所で皿鉢のかち合う音が聞こえても三毛は何も知らずに寝ていた。おそらくまだねずみというも・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・世間或は人目を憚りて態と妻を顧みず、又或は内実これを顧みても表面に疏外の風を装う者あり。たわいもなき挙動なり。夫が妻の辛苦を余処に見て安閑たるこそ人倫の罪にして恥ず可きのみならず、其表面を装うが如きは勇気なき痴漢と言う可し。一 女子少し・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・ 男はかおをあかくして目をさました子供の様なたわいもない事を自分では真面目に考えて肩を怒らせて居た。 七日ほどの間男は女の家の前さえ通らなかった。けれ共、それ丈の間の日は必(して愉快な日ではなかった、すきのある様な男の心の前にはすぐ・・・ 宮本百合子 「お女郎蜘蛛」
出典:青空文庫