・・・ 修理は、上使の前で、短刀を法の如くさし出されたが、茫然と手を膝の上に重ねたまま、とろうとする気色もない。そこで、介錯に立った水野の家来吉田弥三左衛門が、止むを得ず後からその首をうち落した。うち落したと云っても、喉の皮一重はのこっている・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・井戸のつるべなわが切ってあって水をくむことができなくなっていたのと、短刀が一本火に焼けて焼けあとから出てきたので、どろぼうでもするような人のやったことだと警察の人が来て見こみをつけた。それを聞いておかあさんはようやく安心ができたといった。お・・・ 有島武郎 「火事とポチ」
・・・ 質の出入れ――この質では、ご新姐の蹴出し……縮緬のなぞはもう疾くにない、青地のめりんす、と短刀一口。数珠一聯。千葉を遁げる時からたしなんだ、いざという時の二品を添えて、何ですか、三題話のようですが、凄いでしょう。……事実なんです。貞操・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・「お染。」「短刀で、こ、こことここを、あっちこっち、ぎらぎら引かれて身体一面に血が流れた時は、……私、その、たらたら流れて胸から乳から伝うのが、渇きの留るほど嬉しかった。莞爾莞爾したわ。何とも言えない可い心持だったんですよ。お前さん・・・ 泉鏡花 「第二菎蒻本」
・・・ これを君にくれる、』と投げだしたのは短刀であった。自分はその唐突に驚いた。かかる挙動は決して以前のかれにはなかったのである。自分はもう今日のかれ、七年前のかれでないことを悟った。『これは右手指といって、こういう具合にさすので、』かれは短刀・・・ 国木田独歩 「まぼろし」
・・・ 昼過ぎになると、担当の看守が「明日の願い事」と云って、廻わってくる。キャラメル一つ。林檎 十銭。差入本の「下附願」。書信 封緘葉書二枚。着物の宅下げ願。 運動は一日一度――二十分。入浴は一週二度、理髪は一週・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・外国文書の飜訳、それが彼の担当する日々の勤務であった。足を洗おう、早く――この思想は近頃になって殊に烈しく彼の胸中を往来する。その為に深夜までも思い耽る、朝も遅くなる、つい怠り勝に成るような仕末。彼は長い長い腰弁生活に飽き疲れて了った。全く・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・「この短刀で何をするつもりであったか。言え!」暴君ディオニスは静かに、けれども威厳を以て問いつめた。その王の顔は蒼白で、眉間の皺は、刻み込まれたように深かった。「市を暴君の手から救うのだ。」とメロスは悪びれずに答えた。「おまえが・・・ 太宰治 「走れメロス」
・・・とにたにた笑いながら短刀を引き抜き、王子の白い喉にねらいをつけた瞬間、「あっ!」と婆さんは叫びました。婆さんは娘のラプンツェルに、耳を噛まれてしまったからです。ラプンツェルは婆さんの背中に飛びついて、婆さんの左の耳朶を、いやというほど噛・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・第一その筒の傍に立って、花火の打上げを担当している二人の技手からが、洋服に、スエター、半ズボンというハイカラな服装である。そうしてその二人のうちで船首の方に立っている一人は、立派な鬚をさえ生やしているのである。これが筒の掃除をする役をつとめ・・・ 寺田寅彦 「雑記(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
出典:青空文庫