・・・何とおいいでも肯分けないものだから母様が、(それでは林へでも、裏の田圃 それから私、あの、梅林のある処に参りました。 あの桜山と、桃谷と、菖蒲の池とある処で。 しかし、それはただ青葉ばかりで、菖蒲の短いのがむらがってて、水の・・・ 泉鏡花 「化鳥」
・・・おお、それからいまのさき、私が田圃から帰りがけに、うつくしい女衆が、二人づれ、丁稚が一人、若い衆が三人で、駕籠を舁いてぞろぞろとやって来おった。や、それが空駕籠じゃったわ。もしもし、清心様とおっしゃる尼様のお寺はどちらへ、と問いくさる。はあ・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・ これから、名を由之助という小山判事は、埃も立たない秋の空は水のように澄渡って、あちらこちら蕎麦の茎の西日の色、真赤な蕃椒が一団々々ある中へ、口にしたその葉巻の紫の煙を軽く吹き乱しながら、田圃道を楽しそう。 その胸の中もまた察すべき・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ここから見おろすと少しの田圃がある。色よく黄ばんだ晩稲に露をおんで、シットリと打伏した光景は、気のせいか殊に清々しく、胸のすくような眺めである。民子はいつの間にか来ていて、昨日の雨で洗い流した赤土の上に、二葉三葉銀杏の葉の落ちるのを拾ってい・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・裏の行きとまりに低い珊瑚樹の生垣、中ほどに形ばかりの枝折戸、枝折戸の外は三尺ばかりの流れに一枚板の小橋を渡して広い田圃を見晴らすのである。左右の隣家は椎森の中に萱屋根が見える。九時過ぎにはもう起きてるものも少なく、まことに静かに穏やかな夜だ・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・ 裏手は田圃である。ずッと遠くまで並び立った稲の穂は、風に靡いてきらきら光っている。僕は涼風のごとく軽くなり、月光のごとく形なく、里見亭の裏二階へ忍んで行きたかった。しかし、板壁に映った自分の黒い影が、どうも、邪魔になってたまらない。・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・が彼は思いもかけず自分の前途に一道の光明を望みえたような軽い気持になって、汽車の進むにしたがって、田圃や山々にまだ雪の厚く残っているほの白い窓外を眺めていた。「光の中を歩め」の中の人々の心持や生活が、類いもなく懐しく慕わしいものに思われた。・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・二十七年の夏も半ばを過ぎて盆の十七日踊りの晩、お絹と吉次とが何かこそこそ親しげに話して田圃の方へ隠れたを見たと、さも怪しそうにうわさせし者ありたれど恐らくそれは誤解ならん。なるほど二人は内密話しながら露繁き田道をたどりしやも知れねど吉次がこ・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・ 九 かならずしも道玄坂といわず、また白金といわず、つまり東京市街の一端、あるいは甲州街道となり、あるいは青梅道となり、あるいは中原道となり、あるいは世田ヶ谷街道となりて、郊外の林地田圃に突入する処の、市街ともつかず宿駅と・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・眺望のこれと指して云うべきも無けれど、かの市より此地まであるいは海浜に沿いあるいは田圃を過ぐる路の興も無きにはあらず、空気殊に良好なる心地して自然と愉快を感ず。林長館といえるに宿りしが客あしらいも軽薄ならで、いと頼もしく思いたり。 三十・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
出典:青空文庫