・・・――紫玉は、中高な顔に、深く月影に透かして差覗いて、千尋の淵の水底に、いま落ちた玉の緑に似た、門と柱と、欄干と、あれ、森の梢の白鷺の影さえ宿る、櫓と、窓と、楼と、美しい住家を視た。「ぬしにもなって、この、この田舎のものども。」 縋る・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・が、その頃は紅倚翠を風流として道徳上の問題としなかった。忠孝の結晶として神に祀られる乃木将軍さえ若い頃には盛んに柳暗花明の巷に馬を繋いだ事があるので、若い沼南が流連荒亡した半面の消息を剔抉しても毫も沼南の徳を傷つける事はないだろう。沼南はウ・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・ 犬塚信乃芳流傑閣勢ひ天に連なる 奇禍危きに臨んで淵を測らず きほ敢て忘れん慈父の訓 飄零枉げて受く美人の憐み 宝刀一口良価を求む 貞石三生宿縁を証す 未だ必ずしも世間偉士無からざるも 君が忠孝の双全を得るに輸す 浜路・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・意気地がないから親一人妹一人養うことも出来ずさ、下宿屋家業までさして置いて忠孝の道を児童に教えるなんて、随分変った先生様もあるものだね。然しお政さんなんぞは幸福さ、いくら親に不孝な男でも女房だけは可愛がるからね。お光などのように兵隊の気嫌ま・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・背の低い、痩形の、頭の小さい、中高の顔、いつも歯を染めている昔ふうの婦人。口を少しあけて人のよさそうな、たわいのない笑いをいつもその目じりと口元に現わしているのがこの人の癖でした。「そろそろ寝ようかと思っているところです。」と私が言うう・・・ 国木田独歩 「春の鳥」
・・・あるいは道のために、あるいは職のために、あるいは意気のために、あるいは恋愛のために、あるいは忠孝のために、彼らは、生死を超脱した。彼らは、おのおの生死もまたかえりみるにたりぬ大きなあるものを有していた。こうして、彼らのある者は、満足にかつ幸・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・、溺死しても佐久間艇長の如く、焚死しても快川国師の如く、震死しても藤田東湖の如くならば、不自然の死も却って感嘆すべきではない歟、或は道の為めに、或は職の為めに、或は意気の為めに、或は恋愛の為めに、或は忠孝の為めに、彼等は生死を超脱した、彼等・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・諸君、忠臣は孝子の門に出ずで、忠孝もと一途である。孔子は孝について何といったか。色難。有事弟子服其労、有酒食先生饌、曾以是為孝乎。行儀の好いのが孝ではない。また曰うた、今之孝者是謂能養、至犬馬皆能有養、不敬何以別乎。体ばかり大事にするが孝で・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・この革命は諸藩士族の手に成りしものにして、その士族は数百年来周公孔子の徳教に育せられ、満腔ただ忠孝の二字あるのみにして、一身もってその藩主に奉じ、君のために死するのほか、心事なかりしものが、一旦開進の気運に乗じて事を挙げ、ついに旧政府を倒し・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・ 八月八日農場実習 午前八時半より正午まで 除草、追肥 第一、七組 蕪菁播種 第三、四組 甘藍中耕 第五、六組 養蚕実習 第二組(午后イギリス海岸に於て第三紀偶蹄類の足跡・・・ 宮沢賢治 「イギリス海岸」
出典:青空文庫