・・・すると、何処からか番人が出て来て、見物を押分け、犬の衿上をむずと掴んで何処へか持って去く、そこで見物もちりぢり。 誰かおれを持って去って呉れる者があろうか? いや、此儘で死ねという事であろう。が、しかし考えてみれば、人生は面白いもの、あ・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・ 何年か前まではこの温泉もほんの茅葺屋根の吹き曝しの温泉で、桜の花も散り込んで来たし、溪の眺めも眺められたし、というのが古くからこの温泉を知っている浴客のいつもの懐旧談であったが、多少牢門じみた感じながら、その溪へ出口のアーチのなかへは・・・ 梶井基次郎 「温泉」
私は散歩に出るのに二つの路を持っていた。一つは渓に沿った街道で、もう一つは街道の傍から渓に懸った吊橋を渡って入ってゆく山径だった。街道は展望を持っていたがそんな道の性質として気が散り易かった。それに比べて山径の方は陰気では・・・ 梶井基次郎 「筧の話」
・・・「どちらかと言えば丸顔の色のくっきり白い、肩つきの按排は西洋婦人のように肉附が佳くってしかもなだらかで、眼は少し眠むいような風の、パチリとはしないが物思に沈んでるという気味があるこの眼に愛嬌を含めて凝然と睇視られるなら大概の鉄腸漢も軟化・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・櫨紅葉は半ば散りて半ば枝に残りたる、風吹くごとに閃めき飛ぶ。海近き河口に至る。潮退きて洲あらわれ鳥の群、飛び回る。水門を下ろす童子あり。灘村に舟を渡さんと舷に腰かけて潮の来るを待つらん若者あり。背低き櫨堤の上に樹ちて浜風に吹かれ、紅の葉ごと・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・別して鹿狩りについてはつの字崎の地理に詳しく犬を使うことが上手ゆえ、われら一同の叔父たちといえども、素人の仲間での黒人ながら、この連中に比べては先生と徒弟の相違がある、されば鹿狩りの上の手順などすべて猟師の言うところに従わなければならなかっ・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
・・・林の中のようすが間断なく移り変わッた、あるいはそこにありとある物すべて一時に微笑したように、隈なくあかみわたッて、さのみ繁くもない樺のほそぼそとした幹は思いがけずも白絹めく、やさしい光沢を帯び、地上に散り布いた、細かな落ち葉はにわかに日に映・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・姉は島原妹は他国 桜花かや散りぢりに 真鍋博士の夫人は遺言して「自分の骨は埋めずに夫の身の側に置いて下さい」といわれたときく。が博士もまた先ごろ亡くなられた。今は二人の骨は一緒に埋められて、一つの墓石となられたであろう。・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・そして、カッチリ纒りすぎる位いまとまっている。常に原始的な切ったり、はったり、殺し合いをやったりする、ロマンティックなことばかりを書いている。どんなことでも、かまわずにさっさと書いて行く、冷たい態度が僕はすきだった。燐光を放っている。短篇を・・・ 黒島伝治 「愛読した本と作家から」
・・・ と、彼は、それと同じことを、鮮人部落の地理や、家の格好や、その内部の構造や、美しい娘のことなどを、執拗に憲兵隊で曹長に訊ねられたことを思い出した。「女というものは恐ろしいもんだよ。そいつはいくらでも金を吸い取るからな。」 松本・・・ 黒島伝治 「穴」
出典:青空文庫