・・・こぶし大の石ころを一秒に三四ぐらいのテンポで続けざまにたたき合わせるような音である。それが、毎朝東の空がわずかに白みかけるころにはきまってたたきに来る。そっと起き出して窓からのぞいて見ても姿は見えない。ひとしきり鳴くと鳴きやみ、あたりがしん・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・それにはこの鳥の飛行する地上の高さを種々の場合に実測し、また同時に啼音のテンポを実測するのが近道であろう。鳥の大きさが仮定できれば単に仰角と鳥の身長の視角を測るだけで高さがわかるし、ストップ・ウォッチ一つあればだいたいのテンポはわかる。熱心・・・ 寺田寅彦 「疑問と空想」
・・・するとこれらの侏儒のダンスはわれわれの目には実に目まぐるしいほどテンポが早くて、どんなステップを踏んでいるか判断ができないくらいであろう。しかしそれだけの速い運動を支配し調節するためにはそれ相当に速く働く神経をもっていなければならない。その・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・その埋め合わせというわけでもないかもしれないが、昔から相当に戦乱が頻繁で主権の興亡盛衰のテンポがあわただしくその上にあくどい暴政の跳梁のために、庶民の安堵する暇が少ないように見える。 災難にかけては誠に万里同風である。浜の真砂が磨滅して・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
・・・橋の袂は交通線上の一つの特異点であって、歩行者の心のテンポにある加速度を与えるために自然に予定の行為への衝動を受けるのかもしれない。 われわれの生活の行路の上にもまたこういう橋の袂がある。そうしてそこで自分の過去の重荷を下ろそうとして躊・・・ 寺田寅彦 「さまよえるユダヤ人の手記より」
・・・実にテンポのゆるやかな国であった。 日露戦争当時であって、つい数日前露艦がこの辺の沖に見えたという噂もあった。われわれが験潮器を浜に据えて、鉛管を海中へ引っぱっていたので、何か水雷でもしかけているという噂をされたそうである。 この浜・・・ 寺田寅彦 「夏」
・・・ ブリキを火箸でたたくような音が、こういうリズムで、アレグレットのテンポで、単調に繰返される。兎唇の手術のために入院している幼児の枕元の薬瓶台の上で、おもちゃのピエローがブリキの太鼓を叩いている。 ブルルル。ブルルル。ブルブルブルッ・・・ 寺田寅彦 「病院風景」
・・・隻脚の青年は何か一言きわめてそっけない返事をしたまま、松葉杖のテンポを急がせて行き過ぎてしまった。思いなしか青年の顔がまっかになっているように思われた。 呼び止めた歩行不能の中年紳士の気持ちも、急いで別れて行った青年の気持ちもいくらかわ・・・ 寺田寅彦 「藤棚の陰から」
・・・当時都下に洋酒と洋食とを鬻ぐ店舗はいくらもあった。又カウンターに倚りかかって火酒を立飲する亜米利加風の飲食店も浅草公園などには早くから在ったようであるが、然し之を呼ぶにカッフェーの名を以てしたものは一軒もなかった。カッフェーの名の行われる以・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・そして日本の社会としての弱点は大変のろいテンポでしか克服されない。 婦人の実力がまだ低いから、社会的に経済的に、また政治的に平等であることは早すぎるという考え方は、ごく若い婦人の中にさえもある。私はそういう意見をもっている専門学校の女生・・・ 宮本百合子 「明日をつくる力」
出典:青空文庫