・・・こめかみに貼った頭痛膏にかかるおくれ毛をなでつけながら、自分のほうを向いたが、軽くうなずいて片頬で笑った。 夕方母上は、あんまり内をあけてはというので、姉上の止めるのにかかわらず帰る事になった。「お前も帰りましょうね」と聞かれた時、帰る・・・ 寺田寅彦 「竜舌蘭」
・・・車の中は頭痛のするほど騒しい中に、いつか下町の優しい女の話声も交るようになった。 木挽町の河岸へ止った時、混雑にまぎれて乗り逃げしかけたものがあるとかいうので、車掌が向うの露地口まで、中折帽に提革包の男を追いかけて行った。後からつづいて・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・カントは頭痛の種である。しかし一通り読んでしまへば、幾何学の公理と同じく判然明白に解つてしまふ。カントに宿題は残らない。然るにニイチェはどこまで行つても宿題ばかりだ。ニイチェの思想の中には、カント流の「判然明白」が全く無い。それは詩の情操の・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・そして、その後では、新鮮な溌溂たる疼痛だけが残された。「オーイ、昨夜はもてたかい?」 ファンネルの烟を追っていた火夫が、烟の先に私を見付けて、デッキから呶鳴った。「持てたよ。地獄の鬼に!」 私は呶鳴りかえした。「何て鬼だ・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
・・・近頃になっては身体の動きのとれない事は段々甚しくなるが、やや局部の疼痛を感ずることが少くなったので、復た例の写生をして見ようかと思いついてふとそこにあった蔓草の花を書いて見た。それは例の如く板の上に紙を張りつけて置いてモデルの花はその板と共・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・「頭痛堪へ難し。今日又余は彼女に遭ひぬ。然り彼女と共に上野を歩しぬ。余は彼女に遭はざらん事を希ふ。余の頭は今克く其戦に堪へず。」云々。 同じ頃、まだ生活の方向をも定めていなかった若い有島武郎は信仰上の深い懐疑を抱いたままアメリカ・・・ 宮本百合子 「「或る女」についてのノート」
・・・それは、日本の現代文学は総体として、その精神と方法とにおいて、きわめて深いところから鋤きかえされる必要があるという疼痛のような自覚である。 この欲求は、こんにちに生きる私たち多くのものにとって理性の渇望となっている。 五年来、現代文・・・ 宮本百合子 「心に疼く欲求がある」
・・・という印象と、仰天したまんま人形にまでかたまってしまった市長夫婦以下、郵便局長なんかの姿が、頭痛のする程強烈な感銘でのこされる。 検察官が来た! 社会主義の検察官がやって来た! ピーッ! ピーッ! そして、そういう検察官の到着にびっ・・・ 宮本百合子 「ソヴェトの芝居」
・・・「ねえ貴方、女で髪をこんな事されていい気持だなんて云う人はありませんよ、 大抵さわられたっていやだって云うのに―― 私にした所でいい気持どころじゃあない却って頭痛がしてしまう。 年のわりに思いきった事がすきなんですねえ、・・・ 宮本百合子 「千世子(三)」
・・・すると女が不機嫌な表情で登って来て、「御免なさい、何だか頭痛がして……」 ずる、ずる、藍子のいるのもかまわず戸棚から布団を引きずり出して延べ、尾世川の背後にふせってしまう。そんなことが二三度あった。――もう五月であった。 或る日・・・ 宮本百合子 「帆」
出典:青空文庫