・・・細面ながら力身をもち、鼻がすッきりと高く、きッと締ッた口尻の愛嬌は靨かとも見紛われる。とかく柔弱たがる金縁の眼鏡も厭味に見えず、男の眼にも男らしい男振りであるから、遊女なぞにはわけて好かれそうである。 吉里が入ッて来た時、二客ともその顔・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・田舎地方の婦人などが衣裳に金を費しながら其染色模様の取合せを知らず、金の割合に引立たずとて都下の人に笑わるゝこと多し。是等は都て美術上の意匠に存することなれば、万事質素の教は教として、其質素の中にも、凡そ婦人たる者は身の装を工風するにも、貧・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・されど若し其の身のある調子とか意気な調子とかいうものは如何なもので御座る、拙者未だ之を食うたことは御座らぬと、剽軽者あって問を起したらんには、よしや富婁那の弁ありて一年三百六十日饒舌り続けに饒舌りしとて此返答は為切れまじ。さる無駄口に暇潰さ・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
・・・「愛する友よ」とか、「愛するピエエルよ」とか申すのでしょうか。どうもそんなのがちょうどよろしいかと存ぜられます。ですけど、頭からそう申す事は、余り不躾なようで出来かねます。だんだん書いてまいりますうちに、そんな事も申されるようになりますかも・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・譬えば母とか恋人とかいうようないなくなってから年を経たものがまた帰って来たように、己の心の中に暖いような敬虔なような考が浮んで、己を少年の海に投げ入れる。子供の時、春の日和に立っていて体が浮いて空中を飛ぶようで、際限しも無いあくがれが胸に充・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・煙あないぶせ銚子かけてたく藁のもゆとはなしに煙のみたつ「あないぶせ」とかように初に置くこと感情の順序に戻りて悪し。『万葉』にてはかくいわず。全くこの語を廃するか、しからざれば「煙立ついぶせ」などように終りに置くべ・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・ただ測量と園芸が来ないとか云っていた。あしたは日曜だけれども無くならないうちに買いに行こう。僕は国語と修身は農事試験場へ行った工藤さんから譲られてあるから残りは九冊だけだ。四月五日 日南万丁目へ屋根換えの手伝え(にやられ・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・ 愛とか幸福とか、いつも人間がこの社会矛盾の間で生きながら渇望している感覚によって、私たちがわれとわが身をだましてゆくことを、はっきり拒絶したいと思います。愛が聖らかであるなら、それは純潔な怒りと憎悪と適切な行動に支えられたときだけです・・・ 宮本百合子 「愛」
・・・十二月二十四日の都下の諸新聞は、防共三首都の日本景気に氾濫したニュースと共に、四年間に亙った帝人事件が無罪と決定したこと並に、明春建国祭を期して一大国民運動をおこして特に国体明徴、日本精神の昂揚、個人主義、自由主義、功利主義、唯物主義の打破・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・ 都下のある女学校で女学生たちの将来の希望を質問したら八十パーセント以上が平凡な主婦、母になりたいと答えたそうであるが、この如き必然性を欠いた返事に反映している現代日本の教育方針に対する疑いと、日本文化中央連盟の事業の指導精神に対する疑・・・ 宮本百合子 「世界一もいろいろ」
出典:青空文庫