・・・ 玉造線の電車通へ出て、寺田町の方へ二人はとぼとぼ歩いて行った。 寺田町を西へ折れて、天王寺西門前を南へ行くと、阿倍野橋だ。 途中、すれ違う電車は一台もなかった。よしんばあっても、娘のそんな服装では乗れなかった。焼跡の寂しい・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・そして水の潯をとぼとぼとたどって河下の方へと歩いた。 月はさえにさえている。城山は真っ黒な影を河に映している。澱んで流るる辺りは鏡のごとく、瀬をなして流るるところは月光砕けてぎらぎら輝っている。豊吉は夢心地になってしきりに流れを下った。・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・死んで暗い道を独りでとぼとぼ辿って行きながら思わず『マサカ死うとは思わなかった!』と叫びました。全くです、全く僕は叫びました。「そこで僕は思うんです、百人が百人、現在、人の葬式に列したり、親に死なれたり子に死れたりしても、矢張り自分の死・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・ 母も心細いので山家の里に時々帰えるのが何よりの楽しみ、朝早く起きて、淋しい士族屋敷の杉垣ばかり並んだ中をとぼとぼと歩るきだす時の心持はなんとも言えませんでした。山路三里は子供には少し難儀で初めのうちこそ母よりも先に勇ましく飛んだり跳ね・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・西田博士の『善の研究』などもそうして読んだ。とぼとぼと瞬く灯の下で活字を追っていると、窓の外を夜遊びして帰った寮生の連中が、「ローベンはよせ」「糞勉強はやめろ」などと怒鳴りながら通って行く。その声を聞きつつ何か勝利感に似たものをハッキリと覚・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・ 彼等は、とぼとぼ雪の上をふらついた。……でも、彼等は、まだ意識を失ってはいなかった。怒りも、憎悪も、反抗心も。 彼等の銃剣は、知らず知らず、彼等をシベリアへよこした者の手先になって、彼等を無謀に酷使した近松少佐の胸に向って、奔放に・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・ 両人はそんな述懐をしながら、またとぼとぼ歩いた。 帰りには道に迷った。歩きくたびれた上にも歩いてやっと家の方向が分った。「お帰りなさいまし。」園子が玄関へ出てきた。 両人は上ろうとして、下駄をぬぎかけると、そこには靴と立派・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・おげんは養子の兄に助けられながら、その翌日久し振で東京に近い空を望んだ。新宿から品川行に乗換えて、あの停車場で降りてからも弟達の居るところまでは、別な車で坂道を上らなければならなかった。おげんはとぼとぼとした車夫の歩みを辻車の上から眺めなが・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・ギンはしかたなしにとぼとぼお家へかえりました。 母親はその話を聞くと、「それではかたいパンもやわらかいパンもいやだというのだから、今度は半焼にしたのをもっていってごらんよ。」と言いました。 その晩ギンはちっとも寝ないで、夜が明け・・・ 鈴木三重吉 「湖水の女」
・・・あの人の一生の念願とした晴れの姿は、この老いぼれた驢馬に跨り、とぼとぼ進むあわれな景観であったのか。私には、もはや、憐憫以外のものは感じられなくなりました。実に悲惨な、愚かしい茶番狂言を見ているような気がして、ああ、もう、この人も落目だ。一・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
出典:青空文庫