・・・死ぬることへ、まっすぐに一すじ、明快、完璧の鋳型ができていて、私は、鎔かされた鉛のように、鋳型へさっと流れ込めば、それでよかった。何故に縊死の形式を選出したのか。スタヴロギンの真似ではなかった。いや、ひょっとすると、そうかも知れない。自殺の・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・若いものは暇な時間でも強い興奮努力を経験している。何故と云えば、彼等は全世界を知覚し認識し呑み込まなければならないから。」「時間を減らして、その代りあまり必須でない科目を削るがいい。『世界歴史』と称するものなどがそれである。これは通例乾・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・諸君、我らはこの天皇陛下を有っていながら、たとえ親殺しの非望を企てた鬼子にもせよ、何故にその十二名だけ宥されて、余の十二名を殺してしまわなければならなかったか。陛下に仁慈の御心がなかったか。御愛憎があったか。断じて然ではない――たしかに輔弼・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・お父さんもお母さんもはたらき者だったが、私の家はひどく貧しかった。何故貧しかったのか、私は知らない。きょうだいが沢山あって、男の子では私が一ばん上だった。 こんにゃくは町のこんにゃく屋へいって、私がになえるくらい、いつも五十くらい借りて・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・彼は何故に賤業婦を愛するかという理由を自ら解釈して、道徳的及び芸術的の二条に分った。道徳的にはかつて『見果てぬ夢』という短篇小説中にも書いた通り、特種の時代とその制度の下に発生した花柳界全体は、最初から明白に虚偽を標榜しているだけに、その中・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・ 白き香りの鼻を撲って、絹の影なる花の数さえ見分けたる時、ランスロットの胸には忽ちギニヴィアの夢の話が湧き帰る。何故とは知らず、悉く身は痿えて、手に持つ燭を取り落せるかと驚ろきて我に帰る。乙女はわが前に立てる人の心を読む由もあらず。・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・ 何故にニイチェは、かくも甚だしく日本で理解されないだらうか。前にも既に書いた通り、その理由はニイチェが難解だからである。たしかメレヂコフスキイだかが言つたやうに、ニイチェの読者は、インテリの中での最上層に生活して居る読者である。ところ・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・眼だけを何故私は征服することが出来なかっただろうか。 若し彼女が私の眼を見ようものなら、「この人もやっぱり外の男と同じだわ」と思うに違いないだろう。そうすれば、今の私のヒロイックな、人道的な行為と理性とは、一度に脆く切って落されるだろう・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・さてこの二つの場合において、子供の方にてはいずれも自身の誤りなれば頓と区別はなきことなれども、一には叱られ一には慰めらるるとはそもそも何故なるか。畢竟親の方にては格別深き考えもあらず、ただ一時の情意に発したるものなるべし。その第一例なる衣裳・・・ 福沢諭吉 「家庭習慣の教えを論ず」
・・・但だ、自分が其の間に種々と考えて見ると、一体、自分の立てた標準に法って翻訳することは、必ずしも出来ぬと断言はされぬかも知れぬが、少くとも自分に取っては六ヶ敷いやり方であると思った。何故というに、第一自分には日本の文章がよく書けない、日本の文・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
出典:青空文庫