・・・なおかくの通りの旱魃、市内はもとより近郷隣国、ただ炎の中に悶えまする時、希有の大魚の躍りましたは、甘露、法雨やがて、禽獣草木に到るまでも、雨に蘇生りまする前表かとも存じまする。三宝の利益、四方の大慶。太夫様にお祝儀を申上げ、われらとても心祝・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ところが、ある年の初夏、八十人あまりのおもに薩摩の士が二階と階下とに別れて勢揃いしているところへ駈けつけてきたのは同じ薩摩訛りの八人で、鎮撫に来たらしかったが、きかず、押し問答の末同士討ちで七人の士がその場で死ぬという騒ぎがあった。騒ぎがは・・・ 織田作之助 「螢」
・・・その京都言葉に変な訛りがあった。身嗜みが奇麗で、喬は女にそう言った。そんなことから、女の口はほぐれて、自分がまだ出てそうそうだのに、先月はお花を何千本売って、この廓で四番目なのだと言った。またそれは一番から順に検番に張り出され、何番かまでは・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・ケイズと申しますと、私が江戸訛りを言うものとお思いになる方もありましょうが、今は皆様カイズカイズとおっしゃいますが、カイズは訛りで、ケイズが本当です。系図を言えば鯛の中、というので、系図鯛を略してケイズという黒い鯛で、あの恵比寿様が抱いてい・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・ふたたび郷平橋を渡りつつ、赤平川を郷平川ともいうは、赤平の文字もと吾平と書きたるを音もて読みしより、訛りて郷平となりたるなりという昔の人の考えを宜ない、国神野上も走りに走り越し、先には心づかざりし道の辺に青石の大なる板碑立てるを見出しなどし・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・ただ稲荷は保食神の腹中に稲生りしよりの「いなり」で、御饌津神であるその御饌津より「けつね」即ち狐が持出されたまでで、大黒様(太名牟遅神に鼠よりも縁は遠い話である。けれども早くから稲荷に狐は神使となっている。といってお稲荷様が狐つかいに関係の・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・ハクランカイをごらんなさればよろしいに、と南国訛りのナポレオン君が、ゆうべにかわらぬ閑雅の口調でそうすすめて、にぎやかの万国旗が、さっと脳裡に浮んだが、ばか、大阪へ行く、京都へも行く、奈良へも行く、新緑の吉野へも行く、神戸へ行く、ナイヤガラ・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・肘と肘とをぶっつけ合い、互いに隣りの客を牽制し、負けず劣らず大声を挙げて、おういビイルを早く、おういビエルなどと東北訛りの者もあり、喧々囂々、やっと一ぱいのビイルにありつき、ほとんど無我夢中で飲み畢るや否や、ごめん、とも言わずに、次のお客の・・・ 太宰治 「禁酒の心」
・・・という十八枚の短篇小説は、私の作家生活の出発になったのであるが、それが意外の反響を呼んだので、それまで私の津軽訛りの泥臭い文章をていねいに直して下さっていた井伏さんは驚き、「そんな、評判なんかになる筈は無いんだがね。いい気になっちゃいけない・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・ その細君は、津軽訛りの無い純粋の東京言葉を遣っていた。酔いのせいもあって、私は奇妙な錯覚を起したのである。ツネちゃんは、色白で大柄なひとだったそうではないか。「馬鹿、何を言ってやがる。足か。きのう木炭の配給を取りに一里も歩いて足に・・・ 太宰治 「雀」
出典:青空文庫