・・・のみならず現にその知識みずからが、まだこの上幾らでも難解の疑問を提出して休まない。自己というその内容は何と何とだ。自己の生を追うた行止りはどうなるのだ。ことに困るのは、知識で納得の行く自己道徳というものが、実はどうしてもまだ崇高荘厳というよ・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・鴎外を難解な、深遠のものとして、衆俗のむやみに触れるべからずと、いかめしい禁札を張り出したのは、れいの「勉強いたして居ります。」女史たち、あるいは、大学の時の何々教授の講義ノオトを、学校を卒業して十年のちまで後生大事に隠し持って、機会在る毎・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・赤児の難解に多少の興を覚え、こいつをひとつと思って原稿用紙をひろげただけのことである。それゆえこの小説の臓腑といえば、あるひとりの男の三歳二歳一歳の思い出なのである。その余のことは書かずともよい。思い出せば私が三つのとき、というような書きだ・・・ 太宰治 「玩具」
・・・ アグリパイナは、ネロと共に艦に乗せられ、南海の一孤島に流された。 単調の日が続いた。ネロは、島の牛の乳を飲み、まるまると肥えふとり、猛く美しく成長した。アグリパイナは、ネロの手をひいて孤島の渚を逍遥し、水平線のかなたを指さし、ドミ・・・ 太宰治 「古典風」
・・・性格も、どこか難解なところがある。わからないところをたくさん持っている。暗い性質なのに、無理に明るく見せようとしているところも見える。しかし、なんといっても魅かれる女のひとだ。学校の先生なんてさせて置くの惜しい気がする。お教室では、まえほど・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・このコリント後書は、神学者たちにとって、最も難解なものとせられている様であるが、私たちには、何だか、一ばんよくわかるような気がする。高揚と卑屈の、あの美しい混乱である。他の本で読んだのだが、パウロは、当時のキリスト党から、ひどい個人攻撃を受・・・ 太宰治 「パウロの混乱」
・・・難解「太初に言あり。言は神と偕にあり。言は神なりき。この言は太初に神とともに在り。万の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。之に生命あり。この生命は人の光なりき。光は暗黒に照る。而して暗黒は之を・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・あの先生、口髭をはやしていやがるけど、あの口髭の趣味は難解だ。うん、どだいあの野郎には、趣味が無いのかも知れん。うん、そうだ、評論家というものには、趣味が無い、したがって嫌悪も無い。僕も、そうかも知れん。なさけなし。しかし、口髭……。口髭を・・・ 太宰治 「渡り鳥」
・・・ 明治十九年にはもう東京を去って遠い南海の田舎に移った。そうして十年たった明治二十八年の夏に再び単身で上京して銀座尾張町の竹葉の隣のI家の二階に一月ばかりやっかいになっていた。当時父は日清戦役のために予備役で召集され、K留守師団に職を奉・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・子供の時分によく熱病をわずらって、その度に函館産の氷で頭を冷やしたことであったが、あの時のあの氷が、ここのこの泥水の壕の中から切り出されて、そうして何百里の海を越えて遠く南海の浜まで送られたものであったのかと思うと、この方が中学校の歴史で教・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
出典:青空文庫