・・・手が、砂地に引上げてある難破船の、纔かにその形を留めて居る、三十石積と見覚えのある、その舷にかかって、五寸釘をヒヤヒヤと掴んで、また身震をした。下駄はさっきから砂地を駆ける内に、いつの間にか脱いでしまって、跣足である。 何故かは知らぬが・・・ 泉鏡花 「星あかり」
・・・これはね大工が家を造る時に、誤って守宮の胴の中へ打込んだものじゃ、それから難破した船の古釘、ここにあるのは女の抜髪、蜥蜴の尾の切れた、ぴちぴち動いてるのを見なくちゃ可と差附けられました時は、ものも言われません。どうして私が知っておりまし・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・と、彼が、瞳をこらすと、破れた帆を傾けて、一そうの、難破船が、水の中を走っていたのです。「あ、船幽霊だ!」と、叫ぶと、ぎょっとしました。「なんだか、気味が悪いし、もう引き上げよう。」といって、わずか二、三びきしか釣れなかったたらをか・・・ 小川未明 「海のまぼろし」
・・・ そこを、コンパスとスクリューを失った難破船のように、大隊がふらついていた。 兵士達は、銃殺を恐れて自分の意見を引っこめてしまった。近松少佐は思うままにすべての部下を威嚇した。兵卒は無い力まで搾って遮二無二にロシア人をめがけて突撃し・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・そのころ高等学校では、硬派と軟派と対立していて、軟派の生徒が、時々、硬派の生徒に殴られたものですが、私が、このような大軟派の恰好で街を歩いても、ついに一度も殴られた事がない。忠告された事も無い。さすがの硬派たちも、私のこんな姿に接しては、あ・・・ 太宰治 「小さいアルバム」
難破して、わが身は怒濤に巻き込まれ、海岸にたたきつけられ、必死にしがみついた所は、燈台の窓縁である。やれ、嬉しや、たすけを求めて叫ぼうとして、窓の内を見ると、今しも燈台守の夫婦とその幼き女児とが、つつましくも仕合せな夕食の最中である。・・・ 太宰治 「一つの約束」
・・・ むかし、デンマークの或るお医者が、難破した若い水夫の死体を解剖して、その眼球を顕微鏡でもって調べその網膜に美しい一家団欒の光景が写されているのを見つけて、友人の小説家にそれを報告したところが、その小説家はたちどころにその不思議の現象に・・・ 太宰治 「雪の夜の話」
・・・また仁明天皇の御代に僧真済が唐に渡る航海中に船が難破し、やっと筏に駕して漂流二十三日、同乗者三十余人ことごとく餓死し真済と弟子の真然とたった二人だけ助かったという記事がある。これも颱風らしい。こうした実例から見ても分るように遣唐使の往復は全・・・ 寺田寅彦 「颱風雑俎」
小学時代の先生方から学校教育を受けた外に同学の友達からは色々の大切な人間教育を受けた。そういう友達の中にも硬派と軟派と二種類あって、その硬派の首領株からはだいぶいじめられた。板垣退助を戴いた自由党が全盛の時代であったので、・・・ 寺田寅彦 「鷹を貰い損なった話」
・・・この「難破船」の遊びが前述の「神鳴り」とそっくり同じようである。 先ずはじめに銘々の持ちものを何か一つずつ担保 gage として提供させる。それから一人「船長」がきめられる。次にテーブルを囲んだ人々の環を伝わって卓の下でこそこそと品物が・・・ 寺田寅彦 「追憶の冬夜」
出典:青空文庫