・・・ かたわらのベンチに腰懸けたる、商人体の壮者あり。「吉さん、今日はいいことをしたぜなあ」「そうさね、たまにゃおまえの謂うことを聞くもいいかな、浅草へ行ってここへ来なかったろうもんなら、拝まれるんじゃなかったっけ」「なにしろ、・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・これが真新しいので、ざっと、年よりは少く見える、そのかわりどことなく人体に貫目のないのが、吃驚した息もつかず、声を継いで、「驚いたなあ、蝮は弱ったなあ。」 と帽子の鍔を――薄曇りで、空は一面に陰気なかわりに、まぶしくない――仰向けに・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・一月の十二三日に収容せられ、生死不明者等はそこで初めて戦死と認定せられ、遺骨が皆本国の聨隊に着したんは、三月十五日頃であったんや。死後八カ月を過ぎて葬式が行われたんや。」「して、大石のからだはあったんか?」「あったとも、君――後で収・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・二度とふたたびお逢いできぬだろう心もとなさ、謂わば私のゴルゴタ、訳けば髑髏、ああ、この荒涼の心象風景への明確なる認定が言わせた老いの繰りごと。れいの、「いのち」の、もてあそびではない。すでに神の罰うけて、与えられたる暗たんの命数にしたがい、・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・ 三 身長と寿命 地震研究所のI博士が近ごろ地震に対しての人体感覚の限度に関する研究の結果を発表した。特別な設計をした振動台の上に固定された椅子に被試験者を腰掛けさせ、そうしてその台にある一定週期の振動を与えながらそ・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・室へ入ろうとするといつの間にか商人体の男二人その連れらしき娘一人室へいっぱいになって『風俗画報』か何か見ているので、また甲板をあちこち。機関長室からハイカラ先生の鼠色のズボンが片足出て、鏡に女の顔が映って見える。煙突の脇へ子供を負った婆さん・・・ 寺田寅彦 「高知がえり」
・・・地上で人体には感じない程度の風でも巻き煙草に点火したのを頭上にかざしてみれば流向がわかる、その程度の風にとんぼは敏感に反応して常に頭を風に面するような態度を取るのである。 もっとも、地上数メートルの間では風速は地面から上へと急激に増すか・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・地球の物理を明らかにしないで地震や火山の現象のみの研究をするのは、事によると、人体の生理を明らかにせずして単に皮膚の吹出物だけを研究しようとするようなものかもしれない。地震の根本的研究はすなわち地球特に地殻の研究という事になる。本当の地震学・・・ 寺田寅彦 「地震雑感」
・・・ 数十里、数百里を距てたる測候所の観測を材料として吾人はいわゆる等温線、等圧線を描き、あるいは風の流線の大勢を認定す。この際吾人の行為に裏書きする根拠はいずこにありやというに、第一にこれら要素の空間的時間的分布が規則正しきという事なり。・・・ 寺田寅彦 「自然現象の予報」
・・・ 炭は炭でもそのコロイド的内部構造の相違によって物理的化学的作用には著しい差がある場合もあるから、蛇の黒焼きとたぬきの黒焼きで人体に対する効果がなにがしか違わないとは限らない。またわずかな含有灰分の相違が炭の効果に著しい差を生ずることも・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
出典:青空文庫