・・・ なるほど、毒蛾のことがわかって町をあるくと、さっき停車場からホテルへ来る途中、いろいろ変に見えたけしきも、すっかりもっともと思われたのです。人道にはたくさんたき火のあとがありましたし、みんなは繃帯をしたり白いきれで顔を擦ったりしながら・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
「貧しき人々の群」は一九一六年、十八歳のときに書かれた。そして、その年の秋中央公論に発表された。「貧しき人々の群」は、稚いけれども純朴な人道的なこころもちと、自然の豊富さ、人間生活への感動にたってかかれている。少女だった・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第一巻)」
・・・ベルリンのウンテル・デン・リンデンと云う大通りの人道が、少し凸凹のある鏡のようになっていて、滑って歩くことが出来ないので、人足が沙を入れた籠を腋に抱えて、蒔いて歩いています。そう云う時が一番寒いのですが、それでもロシアのように、町を歩いてい・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・文芸復興期以来しきりに重ねられて来た人間の妄想が再びまた「人道主義」の情熱によって打ち砕かれるのである。世界史の大きい振り子は行き詰まるごとに運動の方向を逆に変えるが、しかしその運動の動因は変わらない。 それとともにもう一つ見落としては・・・ 和辻哲郎 「世界の変革と芸術」
出典:青空文庫