・・・はそのために大きい彼の写真を出したり、三段抜きの記事を掲げたりした。何でもこの記事に従えば、喪服を着た常子はふだんよりも一層にこにこしていたそうである。ある上役や同僚は無駄になった香奠を会費に復活祝賀会を開いたそうである。もっとも山井博士の・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・青侍は、爪で頤のひげを抜きながら、ぼんやり往来を眺めている。貝殻のように白く光るのは、大方さっきの桜の花がこぼれたのであろう。「話さないかね。お爺さん。」 やがて、眠そうな声で、青侍が云った。「では、御免を蒙って、一つ御話し申し・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・ 扉の後には牛乳の瓶がしこたましまってあって、抜きさしのできる三段の棚の上に乗せられたその瓶が、傾斜になった箱を一気にすべり落ちようとするので、扉はことのほかの重みに押されているらしい。それを押し返そうとする子供は本当に一生懸命だった。・・・ 有島武郎 「卑怯者」
・・・息もつかず、もうもうと四面の壁の息を吸って昇るのが草いきれに包まれながら、性の知れない、魔ものの胴中を、くり抜きに、うろついている心地がするので、たださえ心臓の苦しいのが、悪酔に嘔気がついた。身悶えをすれば吐きそうだから、引返して階下へ抜け・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・けれども、以前見覚えた、両眼真黄色な絵具の光る、巨大な蜈むかでが、赤黒い雲の如く渦を巻いた真中に、俵藤太が、弓矢を挟んで身構えた暖簾が、ただ、男、女と上へ割って、柳湯、と白抜きのに懸替って、門の目印の柳と共に、枝垂れたようになって、折から森・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・起き抜きでしょう。さア……かねや……」 民子のお父さんとお母さん、民子の姉さんも来た。「まアよく来てくれました。あなたの来るのを待ってました。とにかくに上って御飯をたべて……」 僕は上りもせず腰もかけず、しばらく無言で立っていた・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・「どうです、まだ任せられませんか、もう理屈は尽きてるから、理屈は抜きにして、それでも親の掟に協わない子だから捨てるというなら、この薊に拾わしてください。さあ土屋さん、何とかいうてください」「いや薊さん、それほどいうなら任せよう。たし・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・この一言の勢いは、抜き身をもってはいって来た強盗ででもあるかのようであった。「………」僕はいたたまらないで二階を下りて来た。 しばらくしてはしご段をとんとんおりたものがあるので、下座敷からちょッと顔を出すと、吉弥が便所にはいるうしろ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・一時は猫も杓子も有頂天になって、場末のカフェでさえが蓄音機のフォックストロットで夏の夕べを踊り抜き、ダンスの心得のないものは文化人らしくなかった。 が、四十年前のいわゆる鹿鳴館時代のダンス熱はこれどころじゃなかった。尤も今ほど一般的では・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・間接に来世を語る言葉は到る所に看出さる、而して是は単に非猶太的なる路加伝に就て言うたに過ぎない、新約聖書全体が同じ思想を以て充溢れて居る、即ち知る聖書は来世の実現を背景として読むべき書なることを、来世抜きの聖書は味なき意義なき書となるのであ・・・ 内村鑑三 「聖書の読方」
出典:青空文庫