・・・持ってくるはずのねんねこを忘れてきたのに気がついて、「長吉や、ここに待っておいで、母ちゃんは、すぐ家へいってねんねこを持ってくるからな。どこへもいくでねえよ。」 子供は、だまって、うなずきました。 おきぬは、ゆきかけて、またもど・・・ 小川未明 「谷にうたう女」
・・・叔母は誰かをおんぶしているらしく、ねんねこを着ていた。その時のほのぐらい街路の静けさを私は忘れずにいる。叔母は、てんしさまがお隠れになったのだ、と私に教えて、いきがみさま、と言い添えた。いきがみさま、と私も興深げに呟いたような気がする。それ・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・右隣は中学生、左隣は、子供背負ってねんねこ着ているおばさん。おばさんは、年よりのくせに厚化粧をして、髪を流行まきにしている。顔は綺麗なのだけれど、のどの所に皺が黒く寄っていて、あさましく、ぶってやりたいほど厭だった。人間は、立っているときと・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・、母の真似をして、小さい白いガーゼのマスクをして、そうして白昼、酔ってへんなおばさんと歩いている父のほうへ走って来そうな気配を示し、父は息の根のとまる思いをしたが、母は何気無さそうに、女の子の顔を母のねんねこの袖で覆いかくした。「お嬢さ・・・ 太宰治 「父」
・・・ 麹町の三丁目で、ぶら提灯と大きな白木綿の風呂敷包を持ち、ねんねこ半纏で赤児を負った四十ばかりの醜い女房と、ベエスボオルの道具を携えた少年が二人乗った。少年が夢中で昨日済んだ学期試験の成績を話し出す。突然けたたましく泣き出す赤児の声に婆・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・その時刻にもかかわらず、省線は猛烈にこんで全く身動きも出来ず、上の子をやっと腰かけさせてかばっていた間に、背中の赤ちゃんは、おそらくねんねこの中へ顔を埋められ圧しつけられたためだろう、窒息して死んだ。 この不幸な出来ごとを、東京検事局で・・・ 宮本百合子 「石を投ぐるもの」
・・・少し奥には、「ねんねこ」おんぶをした女の横姿も見えた。「みんなやせてるね」「蒼いや。な」 日頃あれほど粗暴な群集も、その場からちっとも動かず、カラリと開いているドアの方に注意をこらした。「ぼーっとしているねえ、みんな」 ・・・ 宮本百合子 「一刻」
出典:青空文庫