・・・「拝啓。歴史文学所載の貴文愉快に拝読いたしました。上田など小生一高時代からの友人ですが、人間的に実にイヤな奴です。而るに吉田潔なるものが何か十一月号で上田などの肩を持ってぶすぶすいってるようですが、若し宜しいようでしたら、匿名でも結構で・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・』――『寄席芝居の背景は、約十枚でこと足ります。野面。塀外。海岸。川端。山中。宮前。貧家。座敷。洋館なぞで、これがどの狂言にでも使われます。だから床の間の掛物は年が年中朝日と鶴。警察、病院、事務所、応接室なぞは洋館の背景一つで間に合いますし・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ 拝啓。 ながい間ごぶさた致しました。 御からだいかがですか。 全くといっていいほど、 何も持っていません。 泣きたくなるようでもあるし、 しかし、 信じて頑張っています。 前便にくらべると、苦しみが沈潜・・・ 太宰治 「散華」
・・・ 拝啓。この手紙は、あなたに何かお願いする手紙でもないし、また訴えの手紙でもありませんし、また誰かを非難しようとする手紙でも無いのです。私は家の者にも、打ち明けていない事実を、せめて、あなたひとりに知って置いてもらいたくてこの手紙を書く・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・ 拝啓。 死ぬことだけは、待って呉れないか。僕のために。君が自殺をしたなら、僕は、ああ僕へのいやがらせだな、とひそかに自惚れる。それでよかったら、死にたまえ。僕もまた、かつては、いや、いまもなお、生きることに不熱心である。けれども僕・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
拝啓。 一つだけ教えて下さい。困っているのです。 私はことし二十六歳です。生れたところは、青森市の寺町です。たぶんご存じないでしょうが、寺町の清華寺の隣りに、トモヤという小さい花屋がありました。わたしはそのトモヤの・・・ 太宰治 「トカトントン」
拝啓。暑中の御見舞いを兼ね、いささか老生日頃の愚衷など可申述候。老生すこしく思うところ有之、近来ふたたび茶道の稽古にふけり居り候。ふたたび、とは、唐突にしていかにも虚飾の言の如く思召し、れいの御賢明の苦笑など漏し給わんと察・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・ちょっと読んでみるわね。拝啓。為替三百円たしかにいただきました。こちらへ来てから、お金の使い道がちっとも無くて、あなたからこれまで送っていただいたお金は、まだそっくりございます。あなたのほうこそ、いくらでもお金が要るでございましょうに、もう・・・ 太宰治 「冬の花火」
・・・ 壮大なこの場の自然の光景を背景に、この無心の熊さんを置いて見た刹那に自分の心に湧いた感じは筆にもかけず詞にも表わされぬ。 宿へ帰ったら女中の八重が室の掃除をしていた。「熊公の御家はつぶれて仕舞ったよ」と云ったら、寝衣を畳みながら・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・あれで、もし背景などをもう少しくふうしてあれほど写実的にしなかったら、いっそう良い効果を得られはしなかったかと思われたのであった。 こういう新しいものを人形芝居に取り入れることについては異存のある人が多いようであるが自分はそうは思わない・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
出典:青空文庫