・・・しばらくすると内から五十恰好の肥った婆さんが出て来て御這入りと云う。最初から見物人と思っているらしい。婆さんはやがて名簿のようなものを出して御名前をと云う。余は倫敦滞留中四たびこの家に入り四たびこの名簿に余が名を記録した覚えがある。この時は・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・ベルを押し、請ぜられて応接間に入り、暫く待っていた。無論応接間の様子などユンケル氏のそれと似もつかぬのであるが、それでも自分には少しも気がつかなかった、全くユンケル氏の応接間に入っているつもりでいた。その中エスさんが二階から降りて来られた。・・・ 西田幾多郎 「アブセンス・オブ・マインド」
・・・これら僅か数篇の名詩だけでも、ニイチェは抒情詩人として一流の列に入り得るだらう。 ニイチェのショーペンハウエルに対する関係は、新約全書の旧約全書に対するやうなものである。だれも知る通り、旧約の神エホバは怒と復讐の神であり、新約の神は・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・前は、秋になると、大倉庫五棟に入り切れないほどの、小作米になる青田に向っていた。 邸後の森からは、小川が一度邸内の泉水を潜って、前の田へと灑がれていた。 消防組の赤い半纒を着た人たちや、青年会の連中が邸内のあちこちに眠そうな手で蚊を・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・ 洗い物をして来たお熊は、室の内に入りながら、「おや、もうお起きなすッたんですか。もすこしお臥ッてらッしゃればいいのに」と、持ッて来た茶碗小皿などを茶棚へしまいかけた。「なにもう寝なくッても――こんなに明るくなッちゃア寝てもいられま・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・外に賤業婦を弄ぶのみか、此男は某地方出身の者にて、郷里に正当の妻を遺し、東京に来りて更らに第二の妻と結婚して、所謂一妻一妾は扨置き、二妻数妾の滅茶苦茶なれば、子供の厳父に於ける、唯その厳重なる命令に恐入り、何事に就ても唯々諾々するのみ、曾て・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・の気象を養ったら、何となく人生を超絶して、一段上に出る塩梅で、苦痛にも何にも捉えられん、仏者の所謂自在天に入りはすまいかと考えた。 そこで、心理学の研究に入った。 古人は精神的に「仁」を養ったが、我々新時代の人は物理的に養うべきでは・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・それで客間に這入り兼ねていました。 その時あなたは起ち上がって戸の傍までおいでなさいました。わたくしはあなたを遺憾なくはっきり拝することが出来ました。わたくしは胸が裂けるように動悸がいたしました。そしてあなたが好きになりました。やはり十・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・そこかしこはらひもせぬにや塵ひぢ山をなせり、柴の門もなくおぼつかなくも家にいりぬ、師質心せきたるさまして参議君の御成ぞと大声にいへるに驚きて、うちよりししじもの膝折ふせながらはひいでぬ、すこし広き所に入りてみれば壁落かかり障子はやぶれ畳はき・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・森へ入りますと、すぐしめったつめたい風と朽葉の匂とが、すっとみんなを襲いました。 みんなはどんどん踏みこんで行きました。 すると森の奥の方で何かパチパチ音がしました。 急いでそっちへ行って見ますと、すきとおったばら色の火がどんど・・・ 宮沢賢治 「狼森と笊森、盗森」
出典:青空文庫