・・・おぎんはさん・じょあん・ばちすたが、大きい両手のひらに、蝗を沢山掬い上げながら、食えと云う所を見た事がある。また大天使がぶりえるが、白い翼を畳んだまま、美しい金色の杯に、水をくれる所を見た事もある。 代官は天主のおん教は勿論、釈迦の教も・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・ お蓮は舌が剛ばったように、何とも返事が出来なかった。いつか顔を擡げた相手は、細々と冷たい眼を開きながら、眼鏡越しに彼女を見つめている、――それがなおさらお蓮には、すべてが一場の悪夢のような、気味の悪い心地を起させるのだった。「私は・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・それは実際人間よりも、蝗に近い早業だった。が、あっと思ううちに今度は天秤捧を横たえたのが見事に又水を跳り越えた。続いて二人、五人、八人、――見る見る僕の目の下はのべつに桟橋へ飛び移る無数の支那人に埋まってしまった。と思うと船はいつの間にかも・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・そう思うと、多少不快な気がしたが、自分の同情の徹しないと云う不満の方が、それよりも大きいので、今度は話題を、今年の秋の蝗災へ持って行った。この地方の蒙った惨害の話から農家一般の困窮で、老人の窮状をジャスティファイしてやりたいと思ったのである・・・ 芥川竜之介 「仙人」
・・・すると下から下士が一人、一飛びに階段を三段ずつ蝗のように登って来た。それが彼の顔を見ると、突然厳格に挙手の礼をした。するが早いか一躍りに保吉の頭を躍り越えた。彼は誰もいない空間へちょいと会釈を返しながら、悠々と階段を降り続けた。 庭には・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
・・・大きなのやら小さなのやら、みかげ石のまばゆいばかりに日に反射したのやら、赤みを帯びたインク壺のような形のやら、直八面体の角ばったのやら、ゆがんだ球のようなまるいのやら、立体の数をつくしたような石が、雑然と狭い渓谷の急な斜面に充たされている。・・・ 芥川竜之介 「槍が岳に登った記」
・・・ 七兵衛はばったのような足つきで不行儀に突立つと屏風の前を一跨、直に台所へ出ると、荒縄には秋の草のみだれ咲、小雨が降るかと霧かかって、帯の端衣服の裾をしたしたと落つる雫も、萌黄の露、紫の露かと見えて、慄然とする朝寒。 真中に際立って・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・髪の薄い天窓を真俯向けにして、土瓶やら、茶碗やら、解かけた風呂敷包、混雑に職員のが散ばったが、その控えた前だけ整然として、硯箱を右手へ引附け、一冊覚書らしいのを熟と視めていたのが、抜上った額の広い、鼻のすっと隆い、髯の無い、頤の細い、眉のく・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・押えられて、手を突込んだから、脚をばったのように、いや、ずんぐりだから、蟋蟀のようにもがいて、頭で臼を搗いていた。「――そろそろと歩行いて行き、ただ一番あとのものを助けるよう――」 途中から女の子に呼戻させておいて、媼巫女、その・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・さっきあんなに呼ばったに、どこにいたんだい。なんだ腹の工合がわるい、……みっちりして仕事に掛かれば、大抵のことはなおってしまう。この忙しいところで朝っぱらからぶらぶらしていてどうなるか」「省作の便所は時によると長くて困るよ。仕事の習い始・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
出典:青空文庫