・・・といわれて、引きとめられているつばめたちであったのでした。 赤い船は、浜辺に四日、五日、とまっていました。そして、四方から、毎日のように集まってくるつばめを待っていました。もう、たくさんつばめが船に乗って、最後には、ほばしらの上まで止ま・・・ 小川未明 「赤い船とつばめ」
・・・お仙ちゃんが片づけば、どうしたってあの阿母さんは引き取るか貢ぐかしなけりゃならないのだが、まあ大抵の男は、そんな厄介附きは厭がるからね」「そうさ、俺にしても恐れらあ。だが、金さんの身になりゃ年寄りでも附けとかなきゃ心配だろうよ、何しろ自・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ その時、母はいいわけするのもあほらしいという顔だったが、一つにはいいわけする口を利く力もないくらい衰弱しきっていて、私に乳を飲ませるのもおぼつかなく、びっくりした産婆が私の口を乳房から引き離した時は、もう母の顔は蝋の色になっていて歯の・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・とは言ってもやはり夜中なにか起こったときには相手をはっと気づかせることの役には立つという切羽つまった下心もは入っているにはちがいなく、そうすることによってやっと自分一人が寝られないで取り残される夜の退引きならない辛抱をすることになるのだった・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・上手に一つ新しく設らえたる浴室の、右と左の開き扉を引き開けて、二人はひとしく中に入りぬ。心も置かず話しかくる辰弥の声は直ちに聞えたり。 ほどもなく立ち昇る湯気に包まれて出で来たりし二人は、早や打ち解けて物言い交わす中となりぬ。親しみやす・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・のごろはただお膝の上にはい上がりてだだをこねおり候、この分にては小生が小供の時きき候と同じ昔噺を貞坊が聞き候ことも遠かるまじと思われ候、これを思えば悲しいともうれしいとも申しようなき感これありこれ必ず悲喜両方と存じ候、父上は何を申すも七十歳・・・ 国木田独歩 「初孫」
・・・姉はわが顔を見て笑いつ、愚かなることを言うぞと妹の耳を強く引きたり。されど片目の十蔵がかく語りしものを痛きことかなと妹は眼をみはり口とがらせ耳をおおいて叫びぬ。たちまち姉は優しく妹の耳に口寄せて何事かささやきしが、その手をとりて引き立つれば・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・ 初学者はこの書によって入門し、倫理学の根本課題の所在と、その解決の諸方途との手引きを得ることを自分は薦めたい。 私のこの稿は専門の倫理学者になる青年のためではなく、一般に人間教養としての倫理学研究のためであるが、人間の倫理的疑問及・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・のみず/\しい、詩に、引きつけられた。「アンナ・カレニナ」「復活」などよりも、「戦争と平和」が好きだ。戦争を書いた最もいゝものは、「セバストポール」だ。「セバストポール」に書かれた戦争は、「戦争と平和」にかゝれた戦争よりも、真実味の程度に於・・・ 黒島伝治 「愛読した本と作家から」
・・・地主も、自作農も、――土地を持っている人間は、悲喜交々だった。そいつを、高見の見物をしていられるのは、何にも持たない小作人だ。「今度もみんごと、家にゃ、四ツところかゝっとる。」と、親爺は、胸をなでおろした。「しかし、先の方が痩地ばかり取・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
出典:青空文庫