発端 肥後の細川家の家中に、田岡甚太夫と云う侍がいた。これは以前日向の伊藤家の浪人であったが、当時細川家の番頭に陞っていた内藤三左衛門の推薦で、新知百五十石に召し出されたのであった。 ところが寛文七年の・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・その敬服さ加減を披瀝するために、この朴直な肥後侍は、無理に話頭を一転すると、たちまち内蔵助の忠義に対する、盛な歎賞の辞をならべはじめた。「過日もさる物識りから承りましたが、唐土の何とやら申す侍は、炭を呑んで唖になってまでも、主人の仇をつ・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・ 三 刃傷 延享四年八月十五日の朝、五つ時過ぎに、修理は、殿中で、何の恩怨もない。肥後国熊本の城主、細川越中守宗教を殺害した。その顛末は、こうである。 ――――――――――――――――――――――・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・頤の尖った、背のずんぐりと高いのが、絣の綿入羽織を長く着て、霜降のめりやすを太く着込んだ巌丈な腕を、客商売とて袖口へ引込めた、その手に一条の竹の鞭を取って、バタバタと叩いて、三州は岡崎、備後は尾ノ道、肥後は熊本の刻煙草を指示す……「内務・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・信子がそんなに言って庇護ってやった。「いったいどこの人にそんなことを言うたんやな?」今度は半分信子に訊いている。「吉峰さんのおじさんにやなあ」信子は笑いながら勝子の顔を覗いた。「まだあったぞ。もう一つどえらいのがあったぞ」義兄が・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・『その時は日がもうよほど傾いて肥後の平野を立てこめている霧靄が焦げて赤くなってちょうどそこに見える旧噴火口の断崖と同じような色に染まった。円錐形にそびえて高く群峰を抜く九重嶺の裾野の高原数里の枯れ草が一面に夕陽を帯び、空気が水のように澄・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・こういう場合に側に居るものの顔を見比べて、母を庇護おうとするのは何時でもお新だった。「三ちゃんにはかなわない。直ぐにああいうところへ眼をつけるで」 とお新も笑いながら言って、母の曲げた火箸を元のように直そうとした。お新はそんなことを・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・ こんなことを言って袖子を庇護うようにする婦人の客なぞがないでもなかったが、しかし父さんは聞き入れなかった。娘の風俗はなるべく清楚に。その自分の好みから父さんは割り出して、袖子の着る物でも、持ち物でも、すべて自分で見立ててやった。そして・・・ 島崎藤村 「伸び支度」
徳富猪一郎君は肥後熊本の人なり。さきに政党の諸道に勃興するや、君、東都にありて、名士の間を往来す。一日余の廬を過ぎ、大いに時事を論じ、痛歎して去る。当時余ひそかに君の気象を喜ぶ。しかるにいまだその文筆あるを覚らざるなり。・・・ 田口卯吉 「将来の日本」
・・・兄は、一点非なき賢王として、カイザアたる孤高の宿命に聡くも殉ぜむとする凄烈の覚悟を有し、せめて、わがひとりの妹、アグリパイナにこそ、まこと人らしき自由を得させたいものと、無言の庇護を怠らなかった。 アグリパイナの男性侮辱は、きわめて自然・・・ 太宰治 「古典風」
出典:青空文庫