・・・の石の重みは、ついに我々をして九皐の天に飛翔することを許さなかったのである。 第三の経験はいうまでもなく純粋自然主義との結合時代である。この時代には、前の時代において我々の敵であった科学はかえって我々の味方であった。そうしてこの経験は、・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・当時の成上りの田舎侍どもが郷里の糟糠の妻を忘れた新らしい婢妾は権妻と称されて紳士の一資格となり、権妻を度々取換えれば取換えるほど人に羨まれもしたし自らも誇りとした。 こういう道義的アナーキズム時代における人の品行は時代の背景を斟酌して考・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 例えば、背に腹はかえられず、困窮のあまり、つい台帳をごまかしたり、売上金を費消しているのを発見すると、もうそれだけで、十分馘首の口実にも保証金没収の理由にもなるのだった。 こうして、追っ払われた支店長は二三に止まらず、しかも、悪辣・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・僕は――といえば、急に問題が卑小化して恐縮だが、キリスト教はまだつかめぬが、キリスト教の信者の言葉の空しさだけはつかんだと思っている。 織田作之助 「文学的饒舌」
・・・その時刻の激浪に形骸の翻弄を委ねたまま、K君の魂は月へ月へ、飛翔し去ったのであります。 梶井基次郎 「Kの昇天」
・・・このいずれの場合にも、その悲傷は実に深い。しかし人間はこの寂寥と悲傷とを真直ぐに耐えて打ち克つときに必ず成長する。たましいは深みと輝きをます。そのとき自暴になったり、女性呪詛者になったり、悲しみにくず折れてしまってはならぬ。思いが深かっただ・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・したがっていったん、その結合が破れたときにはその悲傷もまた深刻である。万葉集の巻の三には大津皇子が死を賜わって磐余の池にて自害されたとき、妃山辺の皇女が流涕悲泣して直ちに跡を追い、入水して殉死された有名な事蹟がのっている。また花山法皇は御年・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・ 従って魔法を分類したならば、哲学くさい幽玄高遠なものから、手づまのような卑小浅陋なものまで、何程の種類と段階とがあるか知れない。 で、世界の魔法について語ったら、一月や二月で尽きるわけのものではない。例えば魔法の中で最も小さな一部・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・否定も、いまは金縁看板の習性の如くにさえ見え、言いたくなき内容、困難の形式、十春秋、それをのみ繰りかえし繰りかえし、いまでは、どうやら、この露地が住み良く、たそがれの頃、翼を得て、ここかしこを意味なく飛翔する、わが身は蝙蝠、ああ、いやらしき・・・ 太宰治 「喝采」
・・・ 日頃酒を好む者、いかにその精神、吝嗇卑小になりつつあるか、一升の配給酒の瓶に十五等分の目盛を附し、毎日、きっちり一目盛ずつ飲み、たまに度を過して二目盛飲んだ時には、すなわち一目盛分の水を埋合せ、瓶を横ざまに抱えて震動を与え、酒と水、両・・・ 太宰治 「禁酒の心」
出典:青空文庫