・・・ 高さと美とは一目見たことが致命的である。より高く、美しいものの一触はそれより低く一通りのものでは満足せしめなくなるものである。それ故に青年時代に高く、美しい書物を読まずに逸することは恐るべく、惜しむべきことである。何をおいても、人間性・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・ もっと隅ッこの人目につかんところへ建てるとか、お屋敷からまる見えだし、景色を損じて仕様がない!」「チッ! くそッ!」 自分の住家の前に便所を建てていけないというに到っては、別荘も、別邸もあったもんじゃなかった。国立公園もヘチマもな・・・ 黒島伝治 「名勝地帯」
・・・今手元からずっと現われた竿を見ますと、一目にもわかる実に良いものでしたから、その武士も、思わず竿を握りました。吉は客が竿へ手をかけたのを見ますと、自分の方では持切れませんので、 「放しますよ」といって手を放して終った。竿尻より上の一尺ば・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・他の二人も老人らしく似つこらしい打扮だが、一人の濃い褐色の土耳古帽子に黒い絹の総糸が長く垂れているのはちょっと人目を側立たせたし、また他の一人の鍔無しの平たい毛織帽子に、鼠甲斐絹のパッチで尻端折、薄いノメリの駒下駄穿きという姿も、妙な洒落か・・・ 幸田露伴 「野道」
・・・然したッた一目で、それが我々の仲間か、それともコソ泥か強盗か直ぐ見分けがついた。――編笠を頭の後にハネ上げ、肩を振って、大股に歩いている、それは同志だった。暗い目差しをし、前こゞみに始終オド/\して歩いている他の犯罪者とハッキリちがっていた・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・家の裏口に出てカルサン穿きで挨拶する養子、帽子を振る三吉、番頭、小僧の店のものから女衆まで、殆んど一目におげんの立つ窓から見えた。「おばあさん――おばあさん」 と三吉が振って見せる帽子も見えなくなる頃は、小山の家の奥座敷の板屋根も、・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・葦簾で囲った休茶屋の横手には、人目をひくような新しい食堂らしい旗も出ている。それには、池に近い位置に因んで「池の茶屋」とした文字もあらわしてある。お力夫妻はそこにお三輪や新七を待ちうけていた。「御隠居さんがいらしった」 という声がお・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・と一ばん若いお客が、呶鳴るように言いまして、「ねえさん、おれは惚れた。一目惚れだ。が、しかし、お前は、子持ちだな?」「いいえ」と奥から、おかみさんは、坊やを抱いて出て来て、「これは、こんど私どもが親戚からもらって来た子ですの。これでもう・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・わけてもその夜は、お店の手代と女中が藪入りでうろつきまわっているような身なりだったし、ずいぶん人目がはばかられた。売店で、かず枝はモダン日本の探偵小説特輯号を買い、嘉七は、ウイスキイの小瓶を買った。新潟行、十時半の汽車に乗りこんだ。 向・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・熊さんだと一目で知れた。小倉の服に柿色の股引は外にはない。よべの嵐に吹き寄せられた板片木片を拾い集めているのである。自分は行くともなく其方へ歩み寄った。いつもの通りの銅色の顔をして無心に藻草の中をあさっている。顔には憂愁の影も見えぬ。自分が・・・ 寺田寅彦 「嵐」
出典:青空文庫