・・・某の東北徒歩旅行は始めよりこの徒歩旅行と両々相対して載せられた者であったが、その文章は全く幼稚で別に評するほどのものではなかった。独り楽天の文は既に老熟の境に達して居てことさらに人を驚かすような新文字もないけれどそれでありながらまた人を倦ま・・・ 正岡子規 「徒歩旅行を読む」
・・・唐詩選を見て唐詩を評し、展覧会を見て画家を評するは殆し。蕪村の佳句ばかりを見る者は蕪村を見る者にあらざるなり。「手に草履」ということももし拙く言いのばしなば殺風景となりなん。短くも言い得べきを「嬉しさよ」と長く言いて、長くも言い得べきを・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・それだけであるならば、従来もこの作者が現実に対して十分の理解をもっていなかったことの連続として、読者は新しく遺憾の意を表するに止るであろう。然し、「厨房日記」には、作者の現実に対する無知に加えられた何かがあることを感じさせられる。同じ程度の・・・ 宮本百合子 「「迷いの末は」」
・・・て、厄難に会ってからこのかた、いつも同じような悔恨と悲痛とのほかに、何物をも心に受け入れることのできなくなった太郎兵衛の女房は、手厚くみついでくれ、親切に慰めてくれる母に対しても、ろくろく感謝の意をも表することがない。母がいつ来ても、同じよ・・・ 森鴎外 「最後の一句」
出典:青空文庫