・・・卒業試験の前のある日、灯ともしごろ、復習にも飽きて離れの縁側へ出たら栗の花の香は慣れた身にもしむようであった。主家の前の植え込みの中に娘が白っぽい着物に赤い帯をしめてねこを抱いて立っていた。自分のほうを見ていつにない顔を赤くした・・・ 寺田寅彦 「花物語」
・・・こういうのはおそらくその後何かの機会に何遍となく同じ記憶の復習をし修繕を加えて来たために三十年後の今日まで保存されているのであろう。 その婆さんの鼻の動く工合までも覚えているような気がするのである、これもはなはだ官能的である。 武雄・・・ 寺田寅彦 「二つの正月」
・・・そこで平生はあまり勉強しなかった自分もいささかかんしゃくを起こして、熱心に勉強したが、それとて他の人と異なった、図抜けた勉強をしたわけではなく、規則立って学課の復習、受験の準備に努めたのでもない。いわば世間並み、普通の事をやっていたというに・・・ 寺田寅彦 「わが中学時代の勉強法」
・・・だれも知る通り、旧約の神エホバは怒と復讐の神であり、新約の神は愛と平和の神である。この二つの神は正反対の矛盾として対蹠して居る。しかも新約は旧約の続篇で、且つ両者の精神を本質的に共通して居る。ニイチェのショーペンハウエルに於ける場合も、要す・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・その頃の生徒や教師に対して、一人一人にみな復讐をしてやりたいほど、僕は皆から憎まれ、苛められ、仲間はずれにされ通して来た。小学校から中学校へかけ、学生時代の僕の過去は、今から考えてみて、僕の生涯の中での最も呪わしく陰鬱な時代であり、まさしく・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・ 四十年間、絶えず彼を殴りつづけて来た官憲に対する復讐の方法は、彼には唯一つしかないと信じていた。そして、その唯一つの道を勇敢に突進した彼であった。 その戦術は、彼のに帰れば、どの仲間もその方法に拠った、唯一の道であった。 が、・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・この上臂突きにされて、ぐりぐりでも極められりゃア、世話アねえ。復讐がこわいから、覚えてるがいい」「だッて、あんまり憎らしいんだもの」と、吉里は平田を見て、「平田さん、お前さんよく今晩来たのね。まだお国へ行かないの」 平田はちょいと吉・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・例えば国民の私裁復讐は法律の許さゞる所なり。然るに今新に書を著わし、盗賊又は乱暴者あらば之を取押えたる上にて、打つなり斬るなり思う存分にして懲らしめよ。況んや親の敵は不倶戴天の讐なり。政府の手を煩わすに及ばず、孝子の義務として之を討取る可し・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・きも悪しきも皆一々子供の手本となり教えとなることなれば、縦令父母には深き考えなきにもせよ、よくよくその係り合いを尋ぬれば、一は怒りの情に堪えきらざる手本になり、一は誤りを他に被せて自ら省みず、むやみに復讐の気合いを教え込むものにて、至極有り・・・ 福沢諭吉 「家庭習慣の教えを論ず」
・・・男子の貞操を守っていない夫に対して、復讐がしてやりたいと云う心持が、はっきり筆に書いてはないが、文句の端々に曝露している。それに受身になって運命に左右せられていないで、何か閲歴がしてみたいと云う女の気質の反抗が見えている。要するにどの女でも・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
出典:青空文庫