・・・「五十年前に秋山図を見たのは、荒れ果てた張氏の家でしたが、今日はまたこういう富貴のお宅に、再びこの図とめぐり合いました。まことに意外な因縁です」 煙客翁はこう言いながら、壁上の大癡を仰ぎ見ました。この秋山がかつて翁の見た秋山かどうか・・・ 芥川竜之介 「秋山図」
・・・これらの階級はブルジョアジー以前に勢力をたくましゅうした過去の所産であって、それが来たるべき生活の上に復帰しようとは、誰しも考えぬところであろう。文芸の上に階級意識がそう顕著に働くものではないという理窟は、概念的には成り立つけれども、実際の・・・ 有島武郎 「広津氏に答う」
・・・家計の困難を悲むようなら、なぜ富貴の家には生れ来ぬぞ……その時先生が送られた手紙の文句はなお記憶にある……其の胆の小なる芥子の如く其の心の弱きこと芋殻の如し、さほどに貧乏が苦しくば、安ぞ其始め彫ちょうい錦帳の中に生れ来らざりし。破壁・・・ 泉鏡花 「おばけずきのいわれ少々と処女作」
・・・何しろ『富貴長命』と言うんだからね。人間の最上の理想物だと言うんだ。――君もこの信玄袋を背負って帰るんだから、まあ幸福者だろうてんでね、ハハハ」 惣治にはおかしくもなかった。相変らずあんなことばかし言って、ふわふわしているのだろうという・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・新しさとは今の日本の時代ではむしろ国ぶりに復帰することだ。恋から恋にうつるハリウッドのスターは賢くはない。むしろ愚かだ。何故なら恋の色彩は多様でもいのちと粋とは逸してしまうからだ。真に恋愛を味わうものとは恋のいのちと粋との中心に没入する者だ・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・名人気質の、わがままな人である。富貴も淫する能わずといったようなところがあった。私の父も、また兄も、洋服は北さんに作ってもらう事にきめていたようである。私が東京の大学へはいってから、北さんは、もっぱら私を監督した。そうして私は、北さんを欺い・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・お袋は新子と名を改めて復帰致しました。ぼくの物心ついた頃、親爺は貧乏官吏から一先ず息をつけていたのですが、肺病になり、一家を挙げて鎌倉に移りました。父はその昔、一世を驚倒せしめた、歴史家です。二十四歳にして新聞社長になり、株ですって、陋巷に・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・凡俗への復帰ではない。凡俗へのしんからの、圧倒的の復讐だ。ミイラ取りが、ミイラに成るのではないか? よくあることだ。よせ、よせ。そんな声も聞えるが、けれども、何も私は冒険をするわけではないのである。鴎外なぞを持ち出したので、少し事が大袈裟に・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・われら巨万の富貴をのぞまず。立て札なき、たった十坪の青草原を! 性愛を恥じるな! 公園の噴水の傍のベンチに於ける、人の眼恥じざる清潔の抱擁と、老教授R氏の閉め切りし閨の中と、その汚濁、果していずれぞや。「男の人が欲しい!」「・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
・・・たるや、みだりに重宝珍器を羅列して豪奢を誇るの顰に傚わず、閑雅の草庵に席を設けて巧みに新古精粗の器物を交置し、淳朴を旨とし清潔を貴び能く礼譲の道を修め、主客応酬の式頗る簡易にしてしかもなお雅致を存し、富貴も驕奢に流れず貧賤も鄙陋に陥らず、お・・・ 太宰治 「不審庵」
出典:青空文庫