・・・ 仙二はフットあたりを見廻してから口笛を吹き出して何のあてどもなく足元の花をむしった。 そうして何となく重い物を抱えた様にして家にかえった。 それから後毎日夕方になるときっとその二つの姿を見た、いつの時でも女はきっと赤い帯に雪踏・・・ 宮本百合子 「グースベリーの熟れる頃」
・・・ そうでなくても、子供のもてない不安で、これまで夫婦の生活に神経をつかっていた多くの妻たちは、この頃のような声々の中で、あるときはふっと、よそに生れる自分の良人の子供というものを思い、自分の感情がそれに馴れ難いことを新しく感じたりしてい・・・ 宮本百合子 「結婚論の性格」
・・・ 時々亢奮した目附で何か云い出そうとしてはフット口をつぐんで静かな無口になるのを千世子は興味ある気持でながめた。 肇のすきこのみなどを千世子は話すまで千世子は聞くまいと思ったし、千世子のすきこのみ、毎日仕て居る事、などは同様肇は何も・・・ 宮本百合子 「千世子(二)」
・・・二人は顔を見合わせて淋しく笑う。老僧 お得意になってか――向うを向いたまんま云う。二人はフット口をつぐむ。それから又話しつづける。第二の若僧ねえ私達はほんとうに巧く「わな」にかかった。 ほんとうに巧者にだまされて・・・ 宮本百合子 「胚胎(二幕四場)」
・・・それだのに――私はフット疑が起った。けれ共どうと思うでなく只やっぱりああ云う人にあるものずきな気持だったかと思って居た。そんな何となし不安心なイライラする様な日がつづいてとうとう私が泣き出した様に雨がシトシト降って居る日だった。私の机の上に・・・ 宮本百合子 「ひな勇はん」
・・・私はそんな風に思われます……それがあたってましょうキット……」「私達みたいに若いもんでさえ、落椿を糸で通してよろこんで居た事を思い出すと寒い様な気んなりますもんねエ」「……」私はフットさしてある首人形を見てお妙ちゃんを思い出してしま・・・ 宮本百合子 「芽生」
・・・ このとき僧は鉄鉢の水を口にふくんで、突然ふっと閭の頭に吹きかけた。 閭はびっくりして、背中に冷や汗が出た。「お頭痛は」と僧が問うた。「あ。癒りました」実際閭はこれまで頭痛がする、頭痛がすると気にしていて、どうしても癒らせず・・・ 森鴎外 「寒山拾得」
・・・ その途端に燈火はふっと消えて跡へは闇が行きわたり、燃えさした跡の火皿がしばらくは一人で晃々。 下 夜は根城を明け渡した。竹藪に伏勢を張ッている村雀はあらたに軍議を開き初め、閨の隙間から斫り込んで来る暁の光は次第・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・その変化はわりに短い時の間に起こったように思われる。ふっと気がついて見ると、私たちは見渡す限り蓮の花ばかりの世界のただ中にいたのである。 蓮の花は葉よりも上へ出ている。その花が小舟の中にすわっているわれわれの胸のあたり、時には目の高さに・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
出典:青空文庫