・・・ ところが、ひとり、庄屋の娘で、楓というのが、歌のたしなみがあって、返歌をしたのが切っ掛けで、やがてねんごろめいて、今宵の氏神詣りにも、佐助は楓を連れ出していたのだ。 それだけに、悪口祭の「佐助どんのアバタ面」云々の一言は一層こたえ・・・ 織田作之助 「猿飛佐助」
・・・わずかそうしたことすら彼には習慣的な反対――崖からの瞰下景に起こったであろう一つの変化がちらと心を掠めるのであった。部屋が暗くなると夜気がことさら涼しくなった。崖路の闇もはっきりして来た。しかしそのなかには依然として何の人影も立ってはいなか・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・されど貴嬢、こはわが期しいたる変化なるのみ。 今日汽車の内なる彼女の苦悩は見るに忍びざりき、かく言いて二郎は眉をひそめ、杯をわれにすすめぬ。泡立つ杯は月の光に凝りて琥珀の珠のようなり。二郎もわれもすでに耳熱し気昂れり。月はさやかに照りて・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・私が東京を去って、この七月でまる四年になるが、その間に、街路や建物が変化したであろうと想像される以上に人間が特に文学の上で変っていることが数すくない雑誌や、旬刊新聞を見ても眼につく。殊に、それが現実の物質的な根拠の上に立っての変化でなく、現・・・ 黒島伝治 「田舎から東京を見る」
・・・草を茵とし石を卓として、谿流のえいかいせる、雲烟の変化するを見ながら食うもよし、かつ価も廉にして妙なりなぞとよろこびながら、仰いで口中に卵を受くるに、臭鼻を突き味舌を刺す。驚きて吐き出すに腐れたるなり。嗽ぎて嗽げども胸わろし。この度は水の椀・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・諸行は無常、宇宙は変化の連続である。 その実体には、もとより、終始もなく、生滅もないはずである。されど、実体の両面たる物質と勢力とが構成し、仮現する千差万別・無量無限の形体にいたっては、常住なものはけっしてない。彼らすでに始めがある。か・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・七とお力夫妻とを結びつけ、震災後はその休茶屋に新しい食堂を設け、所謂割烹店でなしに好い料理を食わせるところを造り、協力でそれを経営するようになって行こうとは、お三輪としても全く思い設けない激しい生涯の変化であった。「お前はどうしてそんな・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・ 青年の常で、感情は急劇に変化する。殊に親の手を離れて間のないものが、のっぴきならぬ場合になると、こうしたものである。青年は忽ち目に涙を一ぱい浮べた。 老人はそのがっしりした体で、ごつごつした頭を前屈みにして、両足で広く地面を踏んで・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・急激に、どんどん変化している時代を過渡期というならば、現代などは、まさに大過渡期であります。」てんで、物語にもなんにもなってやしない。それでも末弟は、得意である。調子が出て来た、と内心ほくほくしている。「やたらに煩瑣で、そうして定理ばかり氾・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・こうした変化がたった二週間ばかりの間に起こったのである。浦島の物語の小さなひな形のようなものかもしれない。 植物の世界にも去年と比べて著しく相違が見えた。何よりもことしは時候が著しくおくれているらしく思われた。たとえば去年は八月半ばにた・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
出典:青空文庫